公益社団法人発明協会

フォトレジスト

概要

 フォトレジストとはPhoto(光)とResist(耐える)の2単語から成る造語で、光によるエッチングに耐える、ポリマー・感光剤・溶剤を主成分とする液状の化学薬剤である。主として半導体製造において基板に回路を転写するフォトリソグラフィー工程で使用される

 半導体の急速な発展はその基板に描かれる回路の微細化によって支えられてきた。そして、半導体の微細化は、露光プロセスにおける光源波長を、より短くすることで実現されてきた。1980年代から1990年代初めにかけては、高圧水銀ランプを使用したg線やi線、1990年代中盤からはレーザー光を用いたKrF(フッ化クリプトン)エキシマレーザーやArF(フッ化アルゴン)エキシマレーザーが使われるようになった

 特定の光の波長領域には特定のレジストしか十分に反応しないため、光源が変化するたびにそれは新たに造り変えなければならない。1960年代後半以降、日米の半導体メーカーが激しく市場でしのぎを削るなかで、フォトレジストの世界でも日本メーカーによる国産の優れた製品が強く求められるようになっていった。

 1968年、東京応化工業(以下「東京応化」)は国内で初めて半導体デバイス製作向けネガ型フォトレジストの開発に成功し、製造販売を開始した。さらに1972年、国内で初めて回路の高集積化に対応した高解像度ポジ型フォトレジストを開発した。そして、1980年代に入ると、世界の半導体の中心製品となった64kBDRAM製造用のフォトレジストとして、その製品は世界のデファクトスタンダードとしての地位を確立した。

 1990年代に入ると更なる微細化に対応するため、フォトレジストの分野では新たな化学増幅系のレジストが登場し、これに対応してNEC、富士通等半導体メーカーとともに住友化学や、信越化学そして日本合成ゴム(現JSR)、富士フイルムといった大手化学メーカーが次々と優れたフォトレジストを製造して競争するようになった。そして、急激な半導体の世代交代に対応して半導体メーカーとの綿密なすり合わせによる製品化への協業体制の構築が追求されていった。それは国内にとどまらず海外にも展開し、欧米から韓国や台湾のメーカーとの間でも進展し、結果、世界のフォトレジスト供給の大半が日本メーカーによるものとなった。

 日本の半導体メーカーは、1990年代以降、次第に競争力を失い撤退するところも続出したが、日本のフォトレジストメーカーの製品はそれまでに築いた世界各国との半導体メーカーとの強固な協業関係を通じて現在においてもなお世界シェアの8割近くを供給する競争力を維持している


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