公益社団法人発明協会

イノベーション100選

現代まで(年代順)

  •  1968年6月、米国RCA社のハイルマイヤーらによる液晶の試作品を知った日本メーカーは、自社製品への利用可能性に注目し次々とこれを利用した製品を開発し、世界の液晶ディスプレイ(LCD)開発の先駆けとなって行った。LCDはわずか30年を経ずして時計や携帯機器など小画面のものから大...
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     1968年6月、米国RCA社のハイルマイヤーらによる液晶の試作品を知った日本メーカーは、自社製品への利用可能性に注目し次々とこれを利用した製品を開発し、世界の液晶ディスプレイ(LCD)開発の先駆けとなって行った。LCDはわずか30年を経ずして時計や携帯機器など小画面のものから大画面まで幅広い製品に応用されていった。
     現在、事務所、交通機関、生産現場、流通産業、家庭、学校等至るところでLCDが使用されている。LCDの出現とその利用の拡大は、ディスプレイの利用環境を一変させただけでなく、電卓やノート型パソコンそしてスマートフォン等、新たな製品を次々と生み出す元ともなった。
     現在、LCD は10兆円を超える巨大な産業に成長し、これを用いた商品は世界に展開されている。1990年代後半には我が国のLCD生産が世界のトップに立ち、2000年代前半に韓国・台湾メーカーの激しい追い上げに直面するまでの間その優れた品質により、LCD市場を席巻することとなったのである。
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  •  リチウムイオン電池は、充電が可能な電池で、現在では、スマートフォン、ノートパソコン、ハイブリッド自動車、航空機等、様々な分野において不可欠な電源となっている。
     1979年に英国オックスフォード大学のジョン・グッドイナフ教授と留学中の東京大学・水島公一(後に東芝)...
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     リチウムイオン電池は、充電が可能な電池で、現在では、スマートフォン、ノートパソコン、ハイブリッド自動車、航空機等、様々な分野において不可欠な電源となっている。
     1979年に英国オックスフォード大学のジョン・グッドイナフ教授と留学中の東京大学・水島公一(後に東芝)が、電極活物質としてリチウムコバルト酸化物が利用できることを発見した。次いで旭化成工業(現 旭化成)の吉野彰らは、その酸化物を正極活物質とし、当初はポリアセチレンを負極活物質とした二次電池を、その後ポリアセチレンに代えて特定の結晶構造を持つ炭素材料を負極活物質とする二次電池を開発し、現在のリチウム二次電池の基礎を確立した。
     一方、独自に開発を進めていたソニーは、西美緒らによりハード・カーボンを負極活物質とするリチウム二次電池を開発し、1991年に出荷を開始した。1992年には旭化成が合弁会社を設立して生産を開始し、以後続々と日本企業の参入によって20世紀の世界のリチウムイオン市場は日本製品が圧倒するものとなった。
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  •  免疫抑制剤はがん治療や移植治療などに欠かせない医薬品である。藤沢薬品(現 アステラス製薬)は、1982年に免疫抑制剤の研究開発に着手し、カビ約8000株、放線菌約1万2000株の培養液をスクリーニングした結果、日本国内の土壌から分離した新菌種に強力な免疫抑制作用があることを発見...
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     免疫抑制剤はがん治療や移植治療などに欠かせない医薬品である。藤沢薬品(現 アステラス製薬)は、1982年に免疫抑制剤の研究開発に着手し、カビ約8000株、放線菌約1万2000株の培養液をスクリーニングした結果、日本国内の土壌から分離した新菌種に強力な免疫抑制作用があることを発見した。
     この活性物質はタクロリムスと命名され、1989年に最初の臨床試験が米国ピッツバーグ大学によって行われた。その結果、重篤な拒絶反応に極めて有効であることが判明した。その後、1990年に米国と欧州5ヵ国で大規模な臨床試験が行われ、タクロリムスは肝移植後1年目の生存率が80%以上という成績に加え、従来の免疫抑制剤に比べて急性拒絶反応の発生頻度が少なく、ステロイドの使用量が減量できるなどの優れた有用性が確認された。
     タクロリムスは1993年に世界に先駆けて日本で承認を受け、同年に免疫抑制剤として発売された。
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  •  スーパーコンピュータは、一般のコンピュータの数十倍の計算速度を持つ科学技術計算を主目的として開発されたものである。
     1970年代から80年代にかけて、日本のコンピュータメーカーは「エレファント」と呼ばれたIBMへのキャッチアップを目指していた。富士通、日立製作所...
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     スーパーコンピュータは、一般のコンピュータの数十倍の計算速度を持つ科学技術計算を主目的として開発されたものである。
     1970年代から80年代にかけて、日本のコンピュータメーカーは「エレファント」と呼ばれたIBMへのキャッチアップを目指していた。富士通、日立製作所、日本電気は、汎用ならびにスーパーコンピュータ分野で官民協力を含む優れた集積回路の開発、産学共同でのプロジェクトの推進、そしてアメリカとの技術提携などを通じ技術力を向上させ、世界市場に進出していった。
     1990年代に入り、スーパーコンピュータの性能評価プログラムであるTOP500において、「数値風洞(NWT)」「SR2201」「CP-PACS」「地球シミュレータ」と日本製スーパーコンピュータ4台が世界ランクのトップに位置付けられ、この製造能力をもって、各社はスーパーコンピュータを数多く世界市場に送り出した。2011年にも富士通の「京」がTOP500において一位となり、科学分野、工学分野の発展に寄与したのである。
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  •  暮らしを豊かに彩る「道の駅」。多様な可能性への期待を集め「地方創生」の拠点施設としても注目される。基本コンセプトは「休憩・情報交換・地域連帯の機能をもった、地域とともにつくる個性豊かなにぎわいの場」である。
     最大の特徴は市町村が設置する公共施設であり、地域の創意...
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     暮らしを豊かに彩る「道の駅」。多様な可能性への期待を集め「地方創生」の拠点施設としても注目される。基本コンセプトは「休憩・情報交換・地域連帯の機能をもった、地域とともにつくる個性豊かなにぎわいの場」である。
     最大の特徴は市町村が設置する公共施設であり、地域の創意工夫を生かした自由な運営にある。個性的で特色ある地場の特産物を生かし、地域独特の気候・風土や文化・慣習まで感じさせ、かつ、地域のニーズに応えたアイデアやデザインをもって、地域の拠点として広く国民に受け入れられている。また、「道の駅」自体が観光目的となるほど集客力を発揮している「道の駅」や、住民サービスの向上にも寄与している「道の駅」、さらには、新潟県中越地震の際には、防災拠点としての機能が注目され、東日本大震災や熊本地震でも大きな役割を果たしている「道の駅」もある。平成27年には、地域の実情に応じた個性的な運営が評価され、公共施設として初めて、第7回日本マーケティング大賞を受賞。平成5年の制度創設時103駅でスタートして以来、平成28年10月現在全国1107駅に増え、進化し続ける。この道の駅は、国際用語「Michi-no-Eki」として通用するまでになり、世界に輪を広げている。
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  •  1972年、東京大学の本多健一と藤嶋昭は、酸化チタン電極と白金電極からなる電気化学系に光を当てると水が分解され、酸化チタン側から酸素が、白金側からは水素が発生するという現象を発見し、これを論文としてネイチャー誌に発表した。この現象は、発見者の名前を取って「ホンダ・フジシマ効果」...
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     1972年、東京大学の本多健一と藤嶋昭は、酸化チタン電極と白金電極からなる電気化学系に光を当てると水が分解され、酸化チタン側から酸素が、白金側からは水素が発生するという現象を発見し、これを論文としてネイチャー誌に発表した。この現象は、発見者の名前を取って「ホンダ・フジシマ効果」と称されるところとなった。当初は太陽エネルギー変換としての活用が期待され、その後、1980年代になり酸化チタン粉末を光触媒として用いた水分解や廃液浄化、さらに大気浄化への研究がなされたが、効率が低く実用技術までには発展しなかった。
     1989年、東京大学の藤嶋と橋本和仁は、薄膜上の酸化チタン光触媒を建築材料にコーティングすることにより材料に抗菌性を付与できることを見出した。さらにTOTOと共同で研究を進める中、酸化チタンの表面に光が当たると水の濡れ性が非常に高くなる「超親水性」が見出されるところとなった。この発見から防曇、防汚にも有効なことが解明され外壁やガラスなど種々の建築材料に使用されて新たな市場が生み出された。
     酸化チタン光触媒は従来、紫外線を必要としたが、近年は可視光に応答する光触媒が開発されるなど、室内でも優れた効果が得られつつある。
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  •  QR コードは日本電装(現 デンソー)が開発したマトリクス型二次元コードである。大容量データを高密度記録し、高速で読み取ることを可能とした。機能的にも全方向からの読み取りを可能にし、コード歪みにも強く、データの復元面でも優れている。
     当初、QRコードの用途は、自...
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     QR コードは日本電装(現 デンソー)が開発したマトリクス型二次元コードである。大容量データを高密度記録し、高速で読み取ることを可能とした。機能的にも全方向からの読み取りを可能にし、コード歪みにも強く、データの復元面でも優れている。
     当初、QRコードの用途は、自動車工場の部品管理や製品管理であったが、やがて在庫管理など流通でも使用されるようになった。オープンコードであったこと、ISO による国際規格化(2000年)がなされたこと、さらにデンソーは特許権を取得したがその権利行使はしないと宣言したことなどにより、全世界に急速に普及した。
     21世紀に入るとJ-フォン(現 ソフトバンク)が、初めてシャープ製端末でQRコード読み取り(バーコード・リーダー)機能をプレインストールした携帯電話を発売したことから、携帯電話での使用が可能となりその需要はさらに拡大した。
     その後も電子チケット、空港の発券システム、入退出システム、勤怠管理システム、帳票管理システムなど業務システムでも、QRコードの利用が新たな展開をみせている。
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  •  デジタルカメラは、レンズを通して入った光をイメージセンサー(撮像素子)により取り込み、デジタル信号として記録するカメラである。
     デジタルカメラの商品化の試みは、1970年代以降国内外の多くの企業によって行われ、数々の技術的な進歩はみられたものの、大きな市場の形成...
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     デジタルカメラは、レンズを通して入った光をイメージセンサー(撮像素子)により取り込み、デジタル信号として記録するカメラである。
     デジタルカメラの商品化の試みは、1970年代以降国内外の多くの企業によって行われ、数々の技術的な進歩はみられたものの、大きな市場の形成には至らなかった。
     1995年にカシオ計算機が発売した「QV-10」は、低価格であったことに加え、液晶画面を備え付けていたことから撮った画像をその場で見ることができ、そして画像を同時にパソコンへ取り込むことが可能であったことから、大ヒット商品となった。
     その後、カメラメーカーや家電メーカーなどが次々に新技術を開発し、デジタルカメラの機能は飛躍的に改善、強化されていった。さらにパソコン、インターネットの普及や画像処理ソフトの発展によって、デジタルカメラ市場はさらに急激に成長していった。
     デジタルカメラの出荷台数は、1999年には509万台であったものの、その10年後の2008年には1億1976万台にまで増大している。
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  • DVD
     1990年代に入り、米国映画産業等から、劇場で観るものと同じような臨場感を持ち、映画を1枚に記録できる光ディスクの開発が要請された。開発各社の競合が進む中で、技術は二つの規格に二分されることとなったが、最終的に両者の規格からそれぞれベストな技術を組み合わせた革新的光ディスク「D...
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     1990年代に入り、米国映画産業等から、劇場で観るものと同じような臨場感を持ち、映画を1枚に記録できる光ディスクの開発が要請された。開発各社の競合が進む中で、技術は二つの規格に二分されることとなったが、最終的に両者の規格からそれぞれベストな技術を組み合わせた革新的光ディスク「DVD」が誕生した。1996年11月には、最初のDVDプレーヤーが東芝及びパナソニックにより発売された。
     DVDプレーヤーの低価格化と普及は、2000年にソニー・コンピュータ・エンタテインメントが発売したDVDドライブ搭載の家庭用ゲーム機「プレイステーション2」によってさらに加速された。発売3日間で販売台数98万台という大ヒット商品となった。
     DVDプレーヤーは、日本以外でも製造されたが、DVDレコーダについては我が国の技術が世界市場をリードし続け、また、記録型のDVDドライブはPCの標準機能として搭載され、高速記録の技術や薄型ドライブの技術を進化させ続けた。
     2010年段階で、日系企業の記録型DVDドライブは世界市場の約80%を占めていた。
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  •  シールド工法の歴史は古く19世紀前半に既に英国で開発されている。一方、世界初の海底トンネルは1944年に完成した日本の関門トンネルである。
     1970年代までのシールド工法では掘削の先端における安定性確保が困難であった。先端部分を含む高い密閉型のシールド工法(第2...
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     シールド工法の歴史は古く19世紀前半に既に英国で開発されている。一方、世界初の海底トンネルは1944年に完成した日本の関門トンネルである。
     1970年代までのシールド工法では掘削の先端における安定性確保が困難であった。先端部分を含む高い密閉型のシールド工法(第2世代のシールド)は1980年代において我が国で主として開発された「泥水加圧式」「泥土圧式」といった工法により克服され世界に普及していった。
     これにより東京湾アクアラインのような大規模海底トンネルが実現し、また、地下鉄等の都市トンネル工事の実施に大きな進歩をもたらすものとなった。
     このシールド工法の進展は一方でメーカーによる優れたシールドマシンの開発に裏打ちされており、それは英仏海峡トンネルなど国際プロジェクトでも使用されている。
     現在は特殊な形状や大規模地下空間などを構築する第3世代のシールド工法の開発が我が国を先頭に開発されつつある。
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  •  非接触ICカード技術とは、ICカードや対応携帯電話を読み取り機(リーダー/ライター)にかざすだけで無線通信を行い、決済や認証を実現する技術である。
     ソニーによって開発されたFeliCa は、1995年に香港のクリエイティブ・スター社によって採用され、1997年に...
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     非接触ICカード技術とは、ICカードや対応携帯電話を読み取り機(リーダー/ライター)にかざすだけで無線通信を行い、決済や認証を実現する技術である。
     ソニーによって開発されたFeliCa は、1995年に香港のクリエイティブ・スター社によって採用され、1997年にオクトパスカードとして本格的に導入された。日本では、1998年にICチケットへの導入を皮切りに、1999年には、ビットワレット社(現 楽天Edy)によるEdyの実証実験が行われ、非接触ICカード電子マネーシステムの普及が進んでいった。2001年にはJR東日本の首都圏424駅でSuicaサービスが開始されている。
     現在は、交通機関の乗車券、電子マネー、航空搭乗券、学生証、ポイントクーポンカード等にFeliCaが用いられており、インドネシア、ベトナムやバングラデシュ等、海外でも利用されている。
     FeliCaの通信方式は世界的にも高く評価され、ISO/IEC 14443タイプAとともに、ISO/IEC 18092として国際標準規格とされた。
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  •  日本における印刷業は、単に書籍・雑誌の印刷にとどまらず、一貫してその技術・ノウハウを多方面に活用し、事業領域を開拓してきた。中でも大日本印刷(DNP)や凸版印刷は、世界でも稀な“総合印刷業”として、その領域をパッケージや建装材から、エッチング技術等の応用...
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     日本における印刷業は、単に書籍・雑誌の印刷にとどまらず、一貫してその技術・ノウハウを多方面に活用し、事業領域を開拓してきた。中でも大日本印刷(DNP)や凸版印刷は、世界でも稀な“総合印刷業”として、その領域をパッケージや建装材から、エッチング技術等の応用によるエレクトロニクス関連部材(液晶ディスプレイや有機ELディスプレイ用の部材、半導体製品用フォトマスク等)へ、そして電池部材等のエネルギー分野やバイオマーカー等の医療分野へと広げている。戦後このような事業領域の拡大を、DNPは「拡印刷」と呼び、それは広く通称されるようになった。
     例えば、包装物への印刷技術は、1970年代には、飲料などを無菌環境下で充塡・包装する製品(システム)を開発し、1994年にはDNP により、試験管のような小さな材料(プリフォーム)をPETボトルの形に成型加工しながら無菌充塡する技術にまで発展させた。現在では粘度の高いデザートや流動性食品までも無菌充塡包装が可能となり、ここに、戦後、パッケージの印刷からスタートした「拡印刷」という継続的イノベーションの一つの到達点を見ることができる。
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  •  ドネペジル塩酸塩(商品名アリセプト)は、エーザイが創出・開発したアルツハイマー型認知症(AD)治療薬である。ADの治療薬としては、米国で最初に承認されたタクリン(肝毒性が強くあり広く使われていなかった)に次ぎ2番目に開発承認された治療薬であるが、事実上、ADへの有効性、ならびに...
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     ドネペジル塩酸塩(商品名アリセプト)は、エーザイが創出・開発したアルツハイマー型認知症(AD)治療薬である。ADの治療薬としては、米国で最初に承認されたタクリン(肝毒性が強くあり広く使われていなかった)に次ぎ2番目に開発承認された治療薬であるが、事実上、ADへの有効性、ならびにその有用性が確立された世界初のAD 治療薬である。
     1970年代に神経伝達物質の研究からADの病態が解明され始め、AD患者脳ではコリン作動性神経が障害を受けていることが明らかとなった。ドネペジル塩酸塩は、アセチルコリンエステラーゼ(記憶や学習に関係する神経伝達物質アセチルコリンを分解する酵素)を阻害する薬理作用を有し、脳内コリン作動性神経を賦活することにより、ADにおける認知症症状の進行を抑制する治療薬である。
     米国ならびに英国では1997 年、日本においては1999 年から販売され、ドネペジル塩酸塩は世界90カ国以上で承認されている。日本とフィリピンにおいては、レビー小体型認知症の適応も取得している。
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  •  石炭火力発電は、コスト面では優れるもののCO2の発生量が多く、省資源、地球環境対策の面から高効率化が不可欠とされ、これまで蒸気条件の高温化・高圧化によって効率向上が行われてきた。
     我が国は1980年代初めに電力会社、プラント・素材メーカーが一体となり、長らく世界...
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     石炭火力発電は、コスト面では優れるもののCO2の発生量が多く、省資源、地球環境対策の面から高効率化が不可欠とされ、これまで蒸気条件の高温化・高圧化によって効率向上が行われてきた。
     我が国は1980年代初めに電力会社、プラント・素材メーカーが一体となり、長らく世界の技術をリードしてきた欧米でさえ実用化できなかった「超々臨界圧発電」(USC)の開発に取り組み、国も、国家プロジェクトとして推進した。
     これらの成果を踏まえ、1993年に中部電力碧南3号で再熱蒸気条件593℃が採用され、これを皮切りに、1997年、電源開発松浦2号では世界で初めて主蒸気、再熱蒸気ともに593℃が採用された。その後も継続的に向上が図られ、電源開発磯子2号では主蒸気圧力25MPa、蒸気温度600/620℃を実現し、現在も世界最高レベルにある。さらに、我が国は、優れた運転・管理ノウハウにより、長期にわたりその性能を維持している。温暖化対策が焦点となる中、USC技術の適用により、省資源と合わせ大幅なCO2の削減が可能となることから現在メーカー、電力会社等は、多くの国々にその高い技術力と信頼性を武器にシステム輸出等を推進しており、着実に成果を挙げている。
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  •  我が国の橋梁建設技術は、戦後の高度経済成長とともに急速に発展した。1998年4月に完成した明石海峡大橋は支間長1991mを誇る世界最長の吊橋である(2016年6月現在)。
     国内では支点間の距離が道路橋で200m以上、鉄道橋で150m以上の橋梁を長大橋としており、...
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     我が国の橋梁建設技術は、戦後の高度経済成長とともに急速に発展した。1998年4月に完成した明石海峡大橋は支間長1991mを誇る世界最長の吊橋である(2016年6月現在)。
     国内では支点間の距離が道路橋で200m以上、鉄道橋で150m以上の橋梁を長大橋としており、我が国初の長大橋はアーチ構造の西海橋である(1955年完成・支間長216m)。以降、若戸大橋(1962年完成・支間長367m)、関門大橋(1973年完成・支間長712m)を経て、「本州四国連絡橋」計画に引き継がれた。同事業は1975年に着工し、前述の明石海峡大橋など計19の橋梁建設を含む一大国家プロジェクトであった。
     橋梁は支点間が長く巨大になるほど技術課題が増え、強度設計や施工の難易度が高くなる。我が国の建設産業界は、高度な土木施工技術・工法、素材開発、ノウハウなどの積み重ねにより様々な課題を克服し、世界最高レベルの架橋技術を確立するに至った。
     こうした世界トップレベルの技術力を強みに、IHI(IHIインフラシステム)は1988年にトルコの第二ボスポラス橋を建設、そして2016年現在、世界第4位の長さとなるイズミット橋(オスマン・ガーズィ橋)を完成させた。
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  •  太陽電池は、世界の中でも我が国が早くから研究に取り組んできた分野である。1955年に日本電気の林一雄らが我が国で最初の太陽電池を開発しており、シャープも1963年から量産を開始している。
     1973年に起きた第1次石油危機を契機に策定された通称「サンシャイン計画」...
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     太陽電池は、世界の中でも我が国が早くから研究に取り組んできた分野である。1955年に日本電気の林一雄らが我が国で最初の太陽電池を開発しており、シャープも1963年から量産を開始している。
     1973年に起きた第1次石油危機を契機に策定された通称「サンシャイン計画」の下、太陽電池に関する研究が官民挙げて本格的に推進されることとなった。様々な業種に属する企業が開発を手掛けたことにより、灯台、人工衛星への搭載や電卓への活用などを経て1993年には京セラが初の住宅用太陽光発電システムの販売を開始し、翌1994年にはシャープが系統連系可能な住宅用光発電システムを商品化するなど次々に世界の開発をリードするところとなった。1999年には我が国の太陽電池生産量が米国を抜き世界一となった。
     太陽電池セルは、様々な産業分野の企業が脱石油に向けて切磋琢磨する中で開発してきた技術、製品であり、その継続的な成果向上によって地球的課題に対処したイノベーションと言えよう。
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  •  1990年代に携帯電話機の小型化・軽量化が進展し、1994年に利用料金が大幅に引き下げられると、国内の携帯電話機市場は急速に拡大していった。さらに通信方式がアナログからデジタルに移行すると、携帯電話機の高機能・多機能化が加速し、1996年には世界で初めて着信メロディ機能を搭載し...
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     1990年代に携帯電話機の小型化・軽量化が進展し、1994年に利用料金が大幅に引き下げられると、国内の携帯電話機市場は急速に拡大していった。さらに通信方式がアナログからデジタルに移行すると、携帯電話機の高機能・多機能化が加速し、1996年には世界で初めて着信メロディ機能を搭載した携帯端末(NTT ドコモ)、1999年にはカラー液晶ディスプレイを搭載した携帯端末(J- フォン・現ソフトバンク)が発売された。
     とりわけ、NTTドコモが1999年2月に開始した「i-mode」は、世界初の携帯端末によるインターネット接続サービスであり、メールの送受信やウェブサイトの閲覧ができる画期的なものであった。契約者はサービス開始1年後で1000万人を超えた。
     2000年10月にはシャープがカメラ付き携帯電話端末を商品化、その1カ月後にJ-フォンは同機で撮った写真をインターネットで送信できる「写メール」サービスを開始した。同サービスの登場は、既存のデジタルカメラ市場に大きな影響を与えるとともに、潜在需要の掘り起こしによって携帯電話の新たな市場を開拓した。
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  •  2000年に移動通信システムの国際規格検討機関3GPP は、1990年代に広く普及した第2世代携帯電話の音質改善などを目的に、世界共通の通信規格IMT-2000を策定した。これを受けNTTドコモは、同社が中心となり当該規格に準拠した第3世代携帯電話の通信方式W-CDMAを開発し...
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     2000年に移動通信システムの国際規格検討機関3GPP は、1990年代に広く普及した第2世代携帯電話の音質改善などを目的に、世界共通の通信規格IMT-2000を策定した。これを受けNTTドコモは、同社が中心となり当該規格に準拠した第3世代携帯電話の通信方式W-CDMAを開発し、2001年に世界初の3G方式による商用サービス(FOMA)を開始した。
     3G方式の通信規格策定にあたっては、ユーザー保護を目的とした高度なセキュリティ技術やプライバシー保護技術が要求されていた。三菱電機は、同社の暗号技術「MISTY」を携帯電話用にカスタマイズした64ビットブロックの暗号「KASUMI」を開発し、この暗号技術は、解読困難性(安全性)が数学的に証明され10年以上の耐用が見込めること、低消費電力でハードウエア(携帯電話機)への組み込みが可能などの性能と機能が評価され、W-CDMA方式の世界標準暗号に採用された。
     日本で開発された暗号アルゴリズムが国際標準に採用されたのは初めてのことである。
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  •  高度経済成長を経て、大量生産・大量消費・大量廃棄型の経済活動を続けてきた我が国は、1990年代になると年間約4億トンもの膨大な量の廃棄物を排出し、環境への影響や資源の枯渇が懸念されるようになった。このため政府は、環境と経済を両立させる持続可能なシステムの構築に向け、再生資源利用...
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     高度経済成長を経て、大量生産・大量消費・大量廃棄型の経済活動を続けてきた我が国は、1990年代になると年間約4億トンもの膨大な量の廃棄物を排出し、環境への影響や資源の枯渇が懸念されるようになった。このため政府は、環境と経済を両立させる持続可能なシステムの構築に向け、再生資源利用促進法(1991年)、容器包装リサイクル法(1995年)等の法制度を整備しつつ廃棄物の発生抑制(リデュース)、部品などの再使用(リユース)、使用済み製品などの再利用(リサイクル)のいわゆる3R活動を通じて、環境と資源の制約を克服する国民的取り組みを提唱した。
     産業界はペットボトルや古紙のリサイクル技術の開発改良を進め、自治体、住民は廃棄物回収のシステムを整備していった。ペットボトルの回収率は1997年当時10%以下の水準であったものが、2015年には92.4%にまで高まり、古紙を原料とする利用率は、1980年の41.5%に対し、2014年には63.9%までに高まっている。こうして最終処分量は激減し1990年の約1億1000万トンに比して、2013年には約7分の1にまで減少したのである。
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