イノベーション100選
戦後復興期(年代順)
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魚群探知機は、軍事用ソナー(船舶用超音波測距・測深機)の原理を応用し、1948年、古野電気の創業者古野清孝、清賢兄弟によって世界で初めて開発・実用化された。魚群探知機の出現により、それまで漁業者の経験と勘に依存していた漁業を科学的見地から実施する方法に転換する上で大きな足跡を残...魚群探知機は、軍事用ソナー(船舶用超音波測距・測深機)の原理を応用し、1948年、古野電気の創業者古野清孝、清賢兄弟によって世界で初めて開発・実用化された。魚群探知機の出現により、それまで漁業者の経験と勘に依存していた漁業を科学的見地から実施する方法に転換する上で大きな足跡を残すこととなった。
当時の古野電気は、中小企業であり、軍需品の民需転換をいち早く実現したこと、 ハードウエアとしての魚群探知機の開発のみならず、魚群探知機をいかした漁法のノウハウをパッケージ化して顧客に提供したこと、さらにこれらを円滑に行うために、開発、生産、販売、アフターケアなどを内製化した組織で一元的に提供したこと等ベンチャー企業として優れた経営を展開していった点も注目される。
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1945年、我が国の外航航路用船腹量は、戦前の2割ほどにまで激減していた。その造船技術も、戦時中の艦船建造技術の踏襲が中心であり、それは進んだ欧米の部品溶接工法に比べ遅れた鋲止工法であった。この状況を打開すべく東京大学教授吉識雅夫等大学教授や海軍出身の技術者が中心となり、「鋲接...1945年、我が国の外航航路用船腹量は、戦前の2割ほどにまで激減していた。その造船技術も、戦時中の艦船建造技術の踏襲が中心であり、それは進んだ欧米の部品溶接工法に比べ遅れた鋲止工法であった。この状況を打開すべく東京大学教授吉識雅夫等大学教授や海軍出身の技術者が中心となり、「鋲接から溶接」への移行のための研究組織を形成した。 ここには全国の造船業界からの技術者も参集し、厳しい交通環境の下で頻繁に会合を開催し、検討が進められた。その成果は参加者により現場にもたらされ、さらに、政府の支援も得て船主、製鉄業界等も参加した広範な研究組織へと発展していった。
溶接工法の導入は、従来の船台で組み立てる工法から、地上で大きなブロックに仕上げるブロック建造方式へと移行した。その過程で生み出された数々の技術の向上により、1956年、日本は造船量世界一を達成することとなる。
吉識雅夫は、1966年、「学士院賞」受賞、1982年、「文化勲章」受章。
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ビニロンは我が国で誕生した合成繊維の第一号である。戦前、京都帝大の桜田一郎などによって開発され、戦後倉敷レイヨン(現 クラレ)によって工業化された。
ビニロンは、その原材料を国内で調達することが可能であり、また他の合成繊維と比較した際に、水によくなじむ・強度が高...ビニロンは我が国で誕生した合成繊維の第一号である。戦前、京都帝大の桜田一郎などによって開発され、戦後倉敷レイヨン(現 クラレ)によって工業化された。
ビニロンは、その原材料を国内で調達することが可能であり、また他の合成繊維と比較した際に、水によくなじむ・強度が高い・紫外線による劣化が少ない・アルカリに強い等の特徴を持っていた。終戦後の国民はその開発に大きな期待を寄せ、社長・大原総一郎の大決断によって資本金2億5000万円の会社が14億円の投資を行い実現した。
ビニロンは、衣料用途と産業用途の二つの面から特に利用され、衣料としては学生服で木綿のそれを凌駕する大きな需要を獲得し、産業用としては主に漁網とロープに用いられた。近年はコンクリート補強材やアルカリ乾電池のセパレーター等として再評価され、新たな需要が高まりつつある。
ビニロンの企業化は、国産技術で国産原料を使用し敗戦によって自信を喪失した日本人に自信を復活させる一つの契機となったイノベーションでもある。
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フェライトとは鉄を主成分とする酸化物磁性材料である。フェライトで作ったコア(磁心)をコイルの中に入れると、強磁性と優れた絶縁性を示すものである。1929年東京工業大学の加藤与五郎、武井武両博士によって発明され、東京電気化学工業(現TDK)によって事業化された。
...フェライトとは鉄を主成分とする酸化物磁性材料である。フェライトで作ったコア(磁心)をコイルの中に入れると、強磁性と優れた絶縁性を示すものである。1929年東京工業大学の加藤与五郎、武井武両博士によって発明され、東京電気化学工業(現TDK)によって事業化された。
戦後フェライトはその可能性を大きく開花させ、日本の電気電子産業の発展に欠かせない部材となる。1950年代の無線通信機やラジオのアンテナコアからブラウン管の電子ビームの制御、1960年代から70年代にかけてはテープレコーダ、VTR、フロッピーディスクドライブの装置用磁気ヘッド、そして、記録メディアである磁気テープそのものの中心素材となった。
2009年、「IEEE マイルストーン」に選定された。
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ファスナーは衣料品をはじめ、カバン、靴、漁網など様々な分野で用いられている。確実な包装や自由度の高いファッションを実現する上で、今日では人々の生活にとって無くてはならない製品である。
吉田工業(現YKK)の創業者吉田忠雄は、終戦直後から工場焼失等の苦難を乗り越え...ファスナーは衣料品をはじめ、カバン、靴、漁網など様々な分野で用いられている。確実な包装や自由度の高いファッションを実現する上で、今日では人々の生活にとって無くてはならない製品である。
吉田工業(現YKK)の創業者吉田忠雄は、終戦直後から工場焼失等の苦難を乗り越えて、ファスナー製作の中核的な機械である独自のチェーンマシンやスライダー連続加工装置などを自社で開発し、原料の調達から生産までを一元的に一つの企業内で担う一貫生産思想により、生産コストの最適化及びスループットの最適化を達成した。これにより高品質かつ低価格のファスナー生産を実現し、グローバル規模に事業を拡大させていった。現在YKKの事業活動は世界71カ国に及んでいる。
1959年、大河内賞「大河内記念賞」、1960年、全国発明表彰「通商産業大臣発明賞」(吉田忠雄)など受賞。
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銑鋼一貫製鉄所とは、製銑、製鋼、鋳造・圧延を一貫してもつ製鉄所のことである。戦後、占領軍によって賠償対象とされていた国策会社日本製鉄の工場は、東西対立とともに1950年広畑製鉄所の操業が認められたが、同時に純粋民間企業である富士製鉄と八幡製鐵に分割された。それは日本製鉄から安定...銑鋼一貫製鉄所とは、製銑、製鋼、鋳造・圧延を一貫してもつ製鉄所のことである。戦後、占領軍によって賠償対象とされていた国策会社日本製鉄の工場は、東西対立とともに1950年広畑製鉄所の操業が認められたが、同時に純粋民間企業である富士製鉄と八幡製鐵に分割された。それは日本製鉄から安定的に銑鉄を供給されていた平炉メーカーの在り方をも問うものとなった。
平炉メーカーであった川崎製鉄の西山彌太郎は、1950年、銑鉄から圧延までの一貫した工程を有する千葉製鉄所の建設を公表した。当時の川崎製鉄の資本金は5億円、建設予定額は163億円であった。各方面の反対を受けつつも西山は世界銀行等からの融資獲得に成功した。千葉製鉄所は、世界最先端の設備や技術を採用した近代的臨海型銑鋼一貫製鉄所となった。そして、借入金を主体にした巨大な設備投資を、規模の経済を追求することによって回収するビジネスモデルの先駆けとなった。