公益社団法人発明協会

現代まで

(第2世代の)シールド工法

イノベーションに至る経緯

 シールド工法とは、トンネル掘削などに使われる工法で、鋼製の巨大な円筒(シールド)をジャッキで前進させながら前方では掘削を行い、後方ではトンネルの枠組み(セグメント)を構築していく工法である。これによってシールド内の人員は周辺からの崩落等に対処し得る上に掘削を終えたシールドの後方ではトンネルの枠組み工事を実施するという画期的な発明となった。工法自体は英国で19世紀前半にマーク・ブルネルによって考案され、軟弱地盤の工事に適したものであることから、1825年にはテムズ川の川底を横断するトンネル工事に使用されている。

 わが国でも戦前、早くから導入され、羽越本線の折渡トンネルや、東海道本線の丹那トンネルの掘削において一部の区間で試みられている1。しかし、いずれも地下の出水等に難航し途中で他の方式に替えられてきた。本格的に使用されたのは1939年に開始された国鉄の関門海底トンネル工事においてである。戦時色の強い人手不足の時代であったが、4年2カ月の短期間で完成させている。

 戦後は、1953年の当時の建設省による国道関門トンネルにおいて一部使用されたのを皮切りに、1957年には東京地下鉄丸ノ内線の永田町延長工事において、さらに1960年の名古屋市地下鉄覚王山工区において円形のシールド工法での施工が成功し、以後都市地下トンネル工事に数多く使用されるようになった2

 トンネル掘削の工法には、山岳工法、開削工法、シールド工法がある。シールド工法は前二者が固い地盤を有する土地や広い用地を確保できる場所などでの工事に適するのに対し、比較的狭い現場で機械を組み立て、地下水などに対処するのにも適した工法であることから、人口の多い都市部でのトンネル掘削に適するものとして発展してきた。

 しかしながら、1970年代までのシールド工法は、19世紀のブルネルの発明以来、様々な改良を重ねてきていたが基本的な掘削方法は変わっていなかった。すなわち、シールドの先端は地山に直面し、そこから直接人力を中心とした掘削を行う手法が採られてきた。このことは前面で作業する人員の安全面、健康面からは常に危険が伴う上に、予期せざる出水などによって工事が中断、遅延することも度々あった。土木業界や土木機械メーカーの間ではその安定化を図るために圧気による出水の抑制や土砂の崩落に対する地盤改良等の補助工法を考案実施してきたが、なお切羽の安定に課題が残る案件が存在した。さらに、掘削による地盤沈下、井戸汚染といった新たな問題も生じていた。このため、この開放型シールドの構造を抜本的に変える動きが1970年代ごろから生じてきた。それは切羽を密閉し地山とシールドの間に隔壁を設けて(カッターチャンバー)そこに泥水ないし泥土を入れてその加圧により地山を安定化させた上でシールドを掘削・推進させる密閉型シールド工法の考え方である。この工法だと、空気と違って圧力をコントロールしやすく、水又は土を従来の空気に換えて使用するため、切羽が崩壊する恐れが極めて低くなる。この第二世代ともいうべきシールド工法は3、歴史的にはまず泥水式が先行し,やがて土圧式が開発されて並行的に実施されてきた。現在のシールド工法はこの密閉型にほぼ統一されている。

 泥水式や土圧式の密閉型シールド工法の開発によって、日本の地下トンネルにおける画期的なプロジェクトを成功させてきた。1991年に完成したドーバー海峡のトンネル工事の一部には川崎重工と三菱重工のシールドが用いられている。また、1994年から工事がスタートした東京湾横断道路(アクアライン)には、三菱重工、川崎重工、IHI、日立造船によってつくられた世界最大級の外径14.14mの泥水式シールドマシンが、日本の多くの建設企業の参加のもとに適用された。こうした実績から日本のシールド工法による地下トンネルの工事は国際的な評価を高め、リヨン道路トンネル、ボスポラス海峡横断道路トンネル、スペインマドリッド環状道路、シンガポール地下鉄新線工事、ブルガリア地下鉄工事など海外の工事でもその実績を挙げている。

 近年では超大断面化、大深度、長距離対応および杭等の地中支障物の切削や地中での拡幅・切り拡げ等のニーズに応えるべく、建設会社、マシンメーカーが力を合わせて新たなる技術によって挑戦し続けている。

 日本において第二世代の密閉型シールド工法が開発された背景には、特異な自然条件や工事手順が欧米と異なる独特のものだったことが影響していると思われる。すなわち、岩盤等の強固な地層は少なく粘土や砂利等が互層をなす複雑な地層が多い。そのため、地山に向かって手作業で掘削を進めるにはシールド内であっても危険度が高く様々な補助工事を必要とし、それが密閉型の工法開発を促したと思われる。もう一つは、日本では交通規制などから欧米のように数百トンのシールドを一体で輸送することができず、これを分割して現地に輸送し、そこで組み立て、工事完了後の本体鋼殻等は地中に残置するのが一般的である。このことは、各々の工事に応じたきめ細かな仕様のシールドマシンをその都度設計・製作することとなり、常に新たなニーズに対する技術の挑戦が繰り返されてきた。

 さらに、戦後の日本の高度成長以来の様々な産業分野での技術革新が材料や機構等の分野や制御分野において建設会社、シールドマシンメーカーの新たな挑戦に対応し得る技術を供してきたことも貢献している。例えば、無人で掘削する機械の発達等はメカトロ技術の成果が取り込まれたことによるが、困難だったセグメントの地山における水漏れ防止やテールボイドの充填などは瞬結型注入材や裏込め注入材等の開発などに支えられている。

 この結果、戦前からアイデアとしては存在した泥水式のシールドマシンが、この時代になって出現することを可能にしたと言えよう。

 近年では超大断面化、大深度、長距離対応及び杭等の地中支障物の切削や地中での拡幅・切り拡げ等のニーズに応えるべく、建設会社、マシンメーカーが力を合わせて新たなる技術によって挑戦し続けている。


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