公益社団法人発明協会

安定成長期

ポリエステル合成繊維(シルク調等)

イノベーションに至る経緯

(1)ポリエステルの工業化

 ポリエステルは、ナイロン・アクリルとともに、3大合繊のうちの一つに数えられる繊維であり、3大合繊の中で最も広く使用されている合成繊維である。ポリエステルは、1941年に英国で、天然繊維である羊毛を代替するものとして開発された。またポリエステルの基本特許は1946年に成立している。日本では1957年に東レと帝人が共同で、ポリエステルの特許実施権を持つ英国ICI社との技術援助契約を締結した。これにより、ポリエステルの工業化の歴史が始まった。この契約の締結によって、東レと帝人はICI社からポリエステル特許の実施権とノウハウの提供を受けた。その後に、両社はすぐにポリエステル工場の建設を開始した。東レはポリエステルの工業化以前にナイロンの工業化に成功していた。東レはその技術とノウハウを生かして1958年に、ステープル日産5トンの三島工場(所在地・静岡県三島市)を完成させた。帝人も、着工こそ東レに遅れたものの、同年に、ステープル日産5トンの松山工場(所在地・愛媛県松山市)を竣工した。

 東レと帝人は、生産面では技術改良・開発において互いに競い合うことになったが、マーケティングに関しては提携して事業を進めた。具体的には、東レと帝人は公募によってポリエステルの商標を「テトロン」と定めたことで、消費者の認知を高めることに成功した(「テトロン」については、帝人の「テ」、東レの「ト」、ナイロンの「ロン」が由来とされている)。

 日本で「テトロン」として展開されたポリエステルは、品質の面で染色性に問題があった。しかしポリエステルは、熱に強い、しわになりにくい、ブリーツ性がある、紡糸がしやすい、さらにコストが低いなど多くの優れた特徴を持っていた。そのためポリエステルは、販売当初からその市場展開が好調であった。その後にポリエステルは、技術改良によって染色性の問題が解消されたことを契機に、さらに多くの衣料用途に用いられることになった。このポリエステルの躍進は、先発の合成繊維であるビニロンやナイロンの市場に大きな影響を与えた。

 その後もポリエステルについては、生産規模の拡大、製造技術の革新によって、製品単価の低下が実現したことで更なる市場の拡大が見られた。また、日本の合成繊維メーカーにおいては、このような製造技術の改良だけでなく、新しいポリエステル製品の開発も盛んに行われた。そして、これより1980年代後半まで続く、ポリエステルの新製品開発の主な目的は、天然繊維に少しでも近づけた製品を開発することであった。

(2)シルク・ライク製品の登場

 新製品の開発の先駆けとなったのが、東レが発明したシルックであった。東レは、それまでのポリエステルの技術改良を通して蓄積された生産・加工技術を用いて、天然繊維である絹に似せたポリエステルの開発に取り組んでいた。その取組の結果、1963年に生産が始まったのがシルックⅠであった。シルックⅠは、シルクのような外観を持った三角断面糸であり、当初、羽二重に用いられた。その後、シルックは和装だけでなく洋装にも用いられ、シルックの市場規模は拡大した。また東レでは、シルックの技術改良に、「シルック検討班」と名付けられた専門の技術集団が携わった。彼らは品質上の問題及び生産効率の向上に取り組んだ。彼らの取組によって、シルックの技術的な基盤は整えられた。その後も東レの新製品の開発は進み、“シルックⅡ”、“シルックⅢ”、“シルックⅣ”、“シルックⅤ”、“ルフォンス”、“ロイヤル”というように、独自の外観・肌触り・着心地を持つシルク調の製品が次々と世に出された。シルックは、開発当初、外観ばかりが絹に似ているポリエステル繊維であった。しかし、ポリエステルは上述のようなその後の技術開発によって、繊維の品質自体も絹に似るようになった。

 東レはシルックに関してマーケティングの面でも多くの力を注いだ。東レは、シルックを用いた製品に対する“東レ・シルック”ブランドの付与、シルックを用いた製品の企画、シルックの価格原則の構築、シルックを扱う独自の問屋の設置など様々な取組を講じた。このような東レのマーケティング面での努力が功を奏したこともあり、シルックは業界に大きな衝撃を与える一大商品となった。

 そして、シルックは、発売開始から継続的に成長を続け、1984年ごろには、月に850トンも生産されるようになった。このころのシルックの生産量はポリエステル長繊維事業全体のおよそ15%であったが、その利益は同事業の総利益の半分を占めていた。つまり、しルックは大変付加価値の高い商品であった。

 もちろん東レばかりでなく、他社においてもシルク・ライクを追求したポリエステル繊維の開発に大きな関心が寄せられた。例を挙げると、帝人では「シルパール」、東洋紡績では「シルファイン」と名付けられた新製品が生み出された。このように1960年代以降、日本企業において、シルク・ライクを追求したポリエステル繊維の開発技術・知識が多く蓄積された。これらの優れた技術・知識は、次に述べる1980年代以降の「新合繊」に継承された。

シルック

シルック

画像提供:東レ

(3)「新合繊」の開発

 その後1980年代には、日本の合成繊維メーカーは、台湾や韓国などのアジア諸国の企業の台頭、プラザ合意の決定等によって大きな打撃を受けた。ポリエステル繊維についても同様で、国内合成繊維メーカーは、それまでのように汎用用途の素材で勝負しても、とても太刀打ちができなかった。このような状況を受けて、国内合成繊維メーカーは、天然繊維の代替品として合成繊維を捉えた上で合成繊維を少しでも天然繊維に近づけようとする考え方を改めた。そして1980年代後半から、彼らは打開策の一つとして「新合繊」などの新しい素材の開発に取り組んだ。

 「新合繊」とは、合成繊維だからこそ実現できる新しい感性と質感を備えた、それまでの合成繊維と比べて高い付加価値を持った合成繊維である。「新合繊」の呼称で初めて世に出たのは、1987年に東洋紡績で開発された「ジーナ」という、ポリエステル・フィラメント加工糸のピーチスキン調素材であったとされている。それ以後、新しい外観、性能、風合いを備えた新しいポリエステル繊維が各社から生み出された。それらの「新合繊」を体系化すると、以下の表1に示すように4つの類型に区分できる。

新合繊の種類

新合繊の種類

 これらの「新合繊」は、その独自の質感・感性が消費者の注目を浴び、ブラウスやドレス、さらには和装にも取り入れられた。このように「新合繊」は国内のファッション市場で好評を得た。また「新合繊」は、エルメスなどの海外ブランドにも採用されるほど、世界のファッション業界においても注目を集めた。「新合繊」は「Shin-Gosen」として世界で通用するほどに、海外においても認知されていたのである。

 「多様な複合技術の成果である『新合繊』の開発と生産には、繊維の改良を限界まで、追求すべく努力した原糸メーカーと同時に、産地の加工業者の果たした役割も大きく、その両者の協力関係がうまく築かれていた日本でこそ可能であった」2


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