公益社団法人発明協会

安定成長期

電力用酸化亜鉛形ギャップレス避雷器

イノベーションに至る経緯

 避雷器は雷及びそれが引き起こす過電圧(サージ)から機器を保護し、停電事故の発生を防ぐ重要な役割を担っている。とりわけ現代の高度情報社会では、一瞬の停電が大きな損害に直結することになりかねず、その防止は重要性を増している。

 避雷器の歴史は、1900年代初頭の火花ギャップ抵抗形避雷器に始まり、アルミニウムセル避雷器、オキサイドフィルム避雷器などのいわゆる弁抵抗形避雷器が使用されてきた

 これまでの避雷器は、直列ギャップと特性要素の2つから構成されていた。前者は、放電電極(アルゴンなどのガス入り放電管などが使用される)を並べて、平常時は後者に電圧が加わらないような役割を果たしている。一方、落雷等による異常電圧が発生した際は特性要素に電圧が加わるといった弁のような役割をもっている。この電極管の間を直列ギャップと呼んでいる。後者は、直列ギャップが放電した場合に異常電圧を制限する役割を担っている。電圧が低い領域では直列ギャップにより電流を通さず、雷サージのような高電圧の領域では電流を通す。この性質により、電気設備を安全に守る機能を果たすこととなる。

 1930年ごろからは、特性要素に炭化ケイ素(SiC)素子を用いた避雷器の時代となった。しかし、SiC素子は多数回の大電流印加に対する安定性はあったが、非直線性能が不十分であったため避雷器動作の後にも避雷器を通じて常規対地電圧における電流が流れてしまう現象(続流)が生じてしまう。その回避のため、いくつもの放電管を直列に並べ供給電圧を低下させる直列ギャップが必要であった(直列ギャップ付き避雷器)。そのため当時は、直列ギャップの続流遮断性能向上が避雷器技術開発の主流となっていた。

避雷器の変遷

避雷器の変遷

出典:「高圧用避雷器の仕組みと動作原理」電気計算 84巻8号(2016年)1頁

 また、この避雷器には汚損や多重雷による絶縁の低下による地絡事故や、遮断器の開閉サージエネルギー吸収能力の限界、更には直列ギャップを必要とする構造上、絶縁性に優れたガス絶縁開閉装置(GIS: Gas Insulated Switchgear)に内蔵して小型化するといった対応ができないなどの課題があった。さらに、我が国のように海水による塩分汚損が深刻な国では、電力用がいし表面の絶縁性を低下させるため、その防止も大きな課題であった。

 一方、1960年代、日本経済は高度成長を経て産業用を中心に電力使用量は急速に拡大し、そのため、電力会社は大容量の電気を送電するため1000kV以上の電圧をもつUHV送電設備や変電設備を多数確保する必要に迫られていた。このような送変電機器が落雷などにより故障し、停電することとなればその被害は甚大なものとなることが予想された。大型化する変電施設は、落雷を受けやすい周辺環境への影響も考慮するとその土地面積確保も大きな課題であった。

 従来型の避雷器ではこうした問題への対応は不可能であった。汚損や多重雷に強く、小型で経済的な新しい避雷器の開発が強く望まれていた。

 1967年、松下がZnOを主成分とするセラミックス半導体素子(ZnOバリスタ)に電圧電流非直線性現象を発見し、1970年に新聞発表を行った。この新たなZnOバリスタは弱電用のものであったが、当時明電舎社長であった平木謙一郎は、この記事に目を留め、ZnOバリスタは避雷器にも適用できるのではないかとの思いをもち、社内での検討を命じた。これを受けて、明電舎と松下(無線研究所)との技術者間の会合が同年6月を皮切りに数度にわたって行われた。明電舎は松下からZnOバリスタのサンプルを受けて社内試験を実施し、その避雷器への適用性の検討を重ねていった。その結果、電力用避雷器への適用を行うには弱電用のZnOバリスタの現状では安定性や耐久性において不安があり、改良が必要との判断が強まった。一方で、電圧電流非直線性において極めて優れた特性を有するとともに小型であっても大きな放電耐量を有するZnOバリスタは、研究者たちになお研究を続ければ夢の電力用避雷器の開発を可能とするのではないかとの思いも強めることとなった。1970年9月、明電舎はZnOバリスタの電力用避雷器への適用に向けた課題解決のため、共同研究を行うことを松下に申し入れた。

 両社の研究者は、時に相反する意見の交換もあったが、試作、検証、ディスカッションを積み重ね、1971年には試作仕様がまとまり、その実証試験では従来の避雷器の性能を上回る成果を得ることができるまでになった。この成果は明電舎技術陣に大きな自信と希望をもたらすところとなった。これによってこのプロジェクトは、明電舎の避雷器部門の正式プロジェクトとして発足し、各関係部門との協力のもとに推進されることとなった。

 この過程で、明電舎の研究者からは、自社による避雷器用素子の開発を望む声が高まっていた。そのため松下との間ではその特許使用の許諾を巡る交渉が開始された。同時に明電舎の材料研究室のメンバーは松下の了解のもとに、この素子の開発技術取得に向けた作業に取り組み始めた。ほぼ1年後、1972年3月、初期の目的を達成するに足る(直径32mm、厚さ7mm、小電流非直線係数50、雷インパルス放電耐量40kA、2ms放電耐量100A)素子の安定的な製作技術を獲得するに至った。

 一方、特許を巡る交渉は難航した。松下には多くの企業から引き合いがあり、同社としてはその特許戦略の最大限の効果をもたらす道を求めていた。最初の申し入れから1年4か月の時間を要し、ようやく1972年12月、両社は特許使用に関する許諾契約に合意した。この合意は両社の協力関係を加速させ製造法に関する技術開発を推進するところとなった。

 1973年、金沢市で開催された電気学会全国大会において、両社は酸化亜鉛形避雷器の論文を連名で発表した。これは世界で初めて酸化亜鉛形ギャップレス避雷器に関する技術開発成果の発表となった。

 特許使用契約によって基本的な材料構成、製造法に関する製造の自由を得た明電舎は、電力用ZnO 素子の自社開発に本格的に着手した。1973年12月には沼津の工場北側に新たに2360㎡の新工場を建設し、翌1974年1月からは量産実験に入った。

 工場立ち上げ直後に第一次石油危機が勃発した。明電舎は、折から全社的に「量から質への転換」をスローガンに掲げ、生産、販売そして研究体制等の社内改革の真っ最中であった。研究開発強化のため1972年には技術部の中にあった研究部門を研究所として独立させ、工場の再編にも取り組んでいた。しかし、石油危機の到来は同社においても深刻な不況を呼び、1975年には2月から9月にかけて職員の一時帰休を実施せざるを得ない状況に追い込まれていた。そのような中であったが、「Simple is best」という信念の下、当時の社長・関四郎の決断のもとに本開発を全社プロジェクト(ZnOのZをとってZプロジェクトと命名)として位置付け、全部門挙げてその開発に邁進、協力する体制がとられた。課題が山積する中で、実験は昼夜を分かたず進めなければならなかった。当時この建設本部長であった小林三佐夫は、「1974年は365日のうち7日しか休めなかった」と回顧している

 1975年、明電舎は従来の避雷器の欠点を解消した画期的な電力用酸化亜鉛形ギャップレス避雷器の開発、製品化に成功した。そして同年、世界初となる66kV系統の酸化亜鉛形ギャップレス避雷器を九州電力の隼人変電所に納入し、7月から運用が開始された。さらに、同月には関西電力湖南変電所、中部電力築港変電所にも納入された。そして、海外にも1979 年のカナダのマニトバハイドロ向け500kV 変圧器鉄共振保護用重責務避雷器の納入をはじめとして、北米、欧州等に向けて次々と出荷されるようになった。

 新形避雷器はその性能を遺憾なく発揮した。電気学会の技術報告によれば従来形の避雷器は1975年から1981年度までの間に毎年平均10件ほどの事故が発生し、その半分が重大事故であったが、酸化亜鉛形の事故は1件にすぎず、それも軽事故であり事故事由も酸化亜鉛素子とは関係のない要因であったことが報告されている

 ギャップレスになったことにより小形化は進み、またGISへの複合化なども可能となり、避雷器の汚損性能も大幅に改善された。

 1975年に第1号機が九州電力に納入されて以降、多くのユーザーへの導入が進んだが、それに伴い専用の規格制定の要望も寄せられるようになった。電気学会では1979年から制定作業を開始し、1984年にJEC-217が制定発行された。一方、国際規格の面からは日本発の規格要請ということで諸外国との多くの調整、折衝が行われることが当初から予想された。そのため国内外ユーザーへの納入実績の提示、CIGRE(Council on Large Electric Systems 国際大電力システム会議)での討議、IEEEへの論文の提出、そして討論などを積み重ねた。1979年にはそれまでの議論の集積の上にIEC(International Electrotechnical Commission、国際電気標準会議)に規格化を日本として要請した。しかしながら、その後も各国からの多くの修正要求などがなされ、最終的に制定されたのは、IECへの初版提出から12年後の1991年であった。しかし、規格化の流れを作り辛抱強くこれを追求したことにより、純粋日本発の技術が世界標準となった。

 2014年8月IEEEは本イノベーションをマイルストーンとして認定したが、そこでは次のようにこの発明を讃えている。

 MOSA was the first gapless surge arrester that could meet the tough electric power systems application needs of world-wide power utilities. Consequently, conventional gapped type surge arresters were disappeared except some special applications. MOSA has contributed to improving the reliability against multi-lightning and housing pollution-derived problems. Furthermore it ignited the births of economical design for power network systems and power electric equipment. MOSA became the de facto standard and later turned to JEC, ANSI, IEC standards. It realized the electric power systems which has the very minimum power failure in the world.


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