公益社団法人発明協会

高度経済成長期

NC 工作機械

イノベーションに至る経緯

 NC工作機械の頭脳部分に当たるNC装置の最初の開発は、米国空軍の要請により行われたものである。1920年代後半以降、機械加工業を営んでいた父親の会社で、機械の組立・補修から自動車販売まで様々な仕事を独学で習得したパーソンズは、米国空軍が新しいジェット戦闘機などの翼の製作で苦悩しているとの情報に興味を抱き、協力を申し出た。1949年、パーソンズは米国空軍から翼の加工に適した新型工作機械の開発を受託したが、加工段階における誤差をどのように解消したらよいか、解決の道筋を見いだせないでいた。

 その後パーソンズは、MITが物体の力学量を変化に対応して制御する「サーボ機構」3について研究していることを知り、それが有するフィードバックシステムを使って、機械の動きをある程度正確に制御することが可能になると考えた。

 以後、MIT主導で両者による共同開発が開始され、1951年に世界最初のNC装置が開発された。さらに、翌1952年にはMITサーボ機構研究所がNCフライス盤を世界で初めて開発することに成功した。切削作業の数値制御化は、それまで熟練作業者の手で行われていたワーク(工作物)や主軸の位置決めなどをサーボ機構により行うものであった。ただし、当時のNC装置は自動化には程遠い段階で、一つひとつの作業に応じてNCテープ(紙テープに穿孔機で穴をあけ機械に指示するテープ)を手作業で作る必要があった。実態としては、「翌54年、IBM社がカードをテープに変換するプログラムを開発し、電子計算機でNCテープを作成する道が開かれるに及び、NC工作機械は、はじめて実用化の段階に入った」4と認識されるべきものであった。

 日本国内では、1956年の自動制御研究会において、東京大学の高橋安人がMITの成果を初めて紹介した5。当時ファナックの稲葉は制御プロジェクトを社内で進めていたが、当該成果報告に強い関心を抱いた。稲葉は検討の結果、実施プロジェクトを数値制御に絞ることとし、同年、民間で日本初のNC工作機械、NCタレットパンチプレスを開発した。NCタレットパンチプレスは、JISによれば、「形状の異なった多数の金型を円状に配置し、任意の金型をスライド下部に回転させ、素材の所定の位置に所定の打抜き作業ができるクランクプレス」6で、板金製品の製造加工に最もよく用いられる工作機械である。

 しかしながら、当初のNC工作機械の動作は極めて不安定なものであった。すなわち、制御システムの中でフィードバックが行われる「クローズドループ方式」7が採られていたため、システムが安定せず、誤差も大きいという問題などがあった。これを解決すべく研究を重ねた結果、1959年、オープンループ方式を採用しサーボ機構を機種ごとに換える必要のない「電気・油圧パルスモータ」を開発した。また同年に東京大学の元岡らとの共同研究による「代数演算式パルス補間回路」の開発に成功し、工具の動きを曲線的に近似計算可能にするとともに、カッタ半径の補正機能によりプログラム作成の手間を大幅に簡素化することにも成功した。いずれの技術も国内外で特許を取得した。ファナックにより独自開発されたこの二つの要素技術が、日本のNC装置の実用化と普及を確実なものとしたのである。

 さらに1972年には、ファナックは世界で初めてコンピュータを内蔵したNC装置(CNC)FANUC250を開発した。従来型のNC装置は、個別の機種ごとに仕様が異なるのに合わせて、それぞれに設計されるハードウェアとしての「ハードワイヤードNC」方式で、単一の加工しかできなかった。これに対し、NCの中に数値計算、処理が可能な小型コンピュータを内蔵しているCNCは、ソフトウエアとしてプログラムを入れ替えることにより別の加工機能を担うことが可能となった8。これにより、NC装置の利用は飛躍的に拡大することとなったのである。

 しかしながら、1973年、順風満帆に見えたファナックのNC装置は第一次石油危機の発生という逆風に見舞われることになった。ファナックのNC装置の要素技術である「電気・油圧パルスモータ」が油圧ポンプにより出力を上げる方式であったため、石油価格高騰による省エネ志向の高まりとともに、ユーザーの多くが当該製品を使い続けることに疑問を感じ始めたのである9,10。こうした状況の中、稲葉はまずは油圧を使わない新たな電気パルスモータ11の開発を試みたものの、納得のいく成果は得られず、結果的には断念した。しかし、同時にもう一つの可能性を探るべく手を打っていた。稲葉はDCサーボモータメーカーである米国ゲティス社との技術提携に踏み切り、電動式DCサーボモータをわずか2か月で完成させたのである12,13

 1970年代後半以降、日本の工作機械は急速に競争力を高め、更なる技術開発が進められ、国内のみならず世界市場でその性能を高く評価されるところとなった。

 一方、工作機の米国産業における競争力について論じた「MIT産業生産性調査委員会」では、米国における初期のNC工作機械は空軍の複雑で高度な部品加工の要請に応えるべく開発されたもので、「もっと単純な、旋盤やボール盤などの工作機械に適した簡易型ソフトウエアは開発されず、また空軍は、航空宇宙の先端的な生産技術を支援する以上の役割を負っているとは考えなかった」14としている。民生用に転用したいとのユーザーからの社会的要請もそもそもなかった。それに対して、自動車産業やエレクトロニクス産業など日本の製造業は、工作機械産業との二人三脚のような形で「ものづくり大国」としての日本の地位を築いてきた。工作機械産業は、ユーザー産業による「精度」「納期」「価格」面での厳しい要求に業界一丸となって対応しながら、足腰を厳しく鍛えられてきた。その結果は、世界に品質と信頼を提供し、強固な基盤技術を形成するようになったのである。

 1982年に日本の工作機械生産はそれまで世界最大であった米国を抜き、生産額で世界一となった。以後、中国に首位の座を明け渡す前年(2008年)までの27年間、世界最大規模の生産額を維持した15

 我が国工作機械の受注・生産統計を詳しく見ると、受注額はおおむね順調に拡大し、1985年に初めて1兆円を超え、バブル期のピークの1990年には1兆4000億円に達した。受注ピークは2007年で1兆6000億円弱に達している。受注に占める外需の割合は1970年の約7%から、停滞する局面もあったが、2010年以降は約7割の水準にまで高まっている。工作機械生産額も受注額とほぼパラレルに拡大してきたが、これにはNC生産額の増加が大きく寄与している。

 NC装置の世界シェアをみると、ファナックが55%と2位以下のメーカーを圧倒的に凌駕する状況にある16。既存顧客から継続的に受注を獲得しているのに加え、NC化が進んでいる中国でも需要を取り込み、出荷を押し上げている。

稲葉清右衛門

稲葉清右衛門

画像提供:ファナック

図1 わが国工作機械の受注額・NC生産額の推移

図1 わが国工作機械の受注額・NC生産額の推移

出典:日本工作機械工業会『工作機械統計要覧』(日本工作機械工業会、2014年)


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