公益社団法人発明協会

高度経済成長期

クオーツ腕時計

イノベーションに至る経緯

(1) クオーツ腕時計前史1

 クオーツ腕時計が開発される以前の時計産業では、生産の大半をスイスのウォッチ産業が占めていた。スイスの機械式腕時計の品質は、熟練労働による最終組立てに大きく依拠していた。水平分業のもとで小規模メーカーは個々の部品に特化し、高精度な工作機械によって優れた品質とコストの部品を生産していたが、最終組立てには熟練職人による調整が必要とされていた。

 このようなスイス優位の状況に対して、日本企業には二つの弱みがあった。第一に、スイスの競争優位の源泉である高精度の工作機械を日本企業が輸入することは困難であった。第二に、日本では熟練職人が不足していた。

 そこで日本企業は、1960年代前半頃から、高度に機械化を進め、一貫した大量生産体制を整えることによってスイス企業に対抗しようとしていた。

 なかでも1960年の時点で既にセイコーは高精度のグランドセイコーの販売を開始し、クロノメーター合格数でもスイス勢に肉薄していた。

 このような生産工程のイノベーションと並行して、ウォッチの原理自体を全く新しいものとする試みも行われるようになった。時計の精度は、組立てや部品加工の精度にも依存するが、最も重要なのは中核部品である振動子の精度であった。振動子の振動数が高いほど、完成品としての時計の誤差も小さくなる。機械式腕時計の場合は、円形の「天輪(てんわ)」と「ひげぜんまい」で構成された「てんぷ」によって得られる往復回転運動を、「がんぎ車」と呼ばれる歯車に伝えることで一定の時間間隔で時計が動くようになっている。1950年代当時、てんぷの振動数は2.5ヘルツから5ヘルツ程度であった。このてんぷとひげぜんまいの精度が時計の精度に直結するために、最終組立て工程において熟練職人による調整が必要とされたのである。

 1960年、米国のブローバ社は毎日の誤差を2秒程度に抑えた音叉振動子による音叉式腕時計を発売した。音叉式の腕時計は非常に高精度であったが、ブローバ社はこの特許を独占し、1968年にライセンス契約が結ばれるまで、他社が参入することはできなかった。スイスのメーカーは、機械式腕時計の改良品として、てんぷの振動数を8ヘルツから10ヘルツまで高めることで、より正確な腕時計を作る試みも行っていたが、振動数が高くなると、部品の摩耗が激しくなり、耐久性を維持することが難しくなるという欠点があった。このようにして、てんぷでも音叉でもない新たな振動子を用いた時計の開発が求められるようになった。

(2) クオーツ式時計の小型化・省電力化

 日本ではセイコーが1959年にプロジェクトを発足して、新たな振動子として、水晶(クオーツ)の研究を始めた。元々セイコーの製造拠点の一つがあった長野県で電波発信用の水晶の研究が行われていたことも、研究開発を後押しする要因であったかもしれない。水晶は、その端にメッキをほどこし電極をつけ、電圧を加えると、数千から数百万ヘルツの振動を発し、振動子として利用することができる。1927年には米国で水晶と真空管を利用した置き時計が発明されていた。セイコーは、1958年に放送局用水晶時計を商品化し、翌1959年に中部日本放送に1号機を納入した。さらに、この水晶時計を腕時計サイズで実現しようとした。水晶振動子を用いた大型ロッカーほどの大きさもあった初期の水晶時計は、当時100W程度の電力で動いていた。これを電池式の腕時計で1年間程度動かすためには、消費電力を1000万分の1である10μWにする必要があった。

 消費電力を1000万分の1に縮小する上で重要なマイルストーンとなったのは、1964年の東京オリンピックであった2。セイコーグループは東京オリンピックでの様々な計測を公式計時として担当し、総合的にクオーツをベースとする電子計時を導入することに成功した。クリスタルクロノメーターの消費電力は、初期の水晶時計の約10万分の1となり、水晶振動子の大きさは長さ10センチ程度にまで縮小された。

クリスタルクロノメーター

クリスタルクロノメーター

画像提供:セイコーホールディングス、セイコーウオッチ

 東京オリンピック以後、腕時計サイズを実現するには、さらに消費電力を100分の1、大きさを数十分の1まで小さくする必要があった。技術開発のポイントは三点あった。第一に、水晶振動子自体を小型化することである。これは棒状の水晶をU字型(音叉型)に加工し、真空中に封入することで、小型で安定的に振動し、さらに耐久性も備えた水晶振動子を製造することにより成功している。

 第二に、高振動数の水晶振動子を利用する場合には、その振動を1秒1回の振動に変換するための分周回路が必要であった。置き時計(クロック)では、そのために真空管やトランジスタを用いていたが、この分周回路を省電力・小型化する必要があった。初期の段階でセイコーは、ハイブリッドICを用いることで省電力・小型に対応した。ただし、ハイブリッドICではトランジスタ等の部品を個別に基板上に装着するため量産化には向かなかった。この点についてはクオーツ腕時計が実用化された後でさらなる改良が行われた。

 第三の開発は、針を動かすためのモーターの小型化であった。機械式腕時計の際には、ぜんまいから歯車へと運動エネルギーが伝えられていたが、電池式の腕時計では、電気エネルギーを運動エネルギーに変換するためのモーターが必要となった。従来のモーターは小型化が難しかったため、このモーターを新規に開発する必要があった。モーターを単独の製品ではなく複数の部品からなるシステムとして捉え、コイルやステーター、ローターと呼ばれる各部品を腕時計内部の様々な隙間に納まるように配置することにした。また、連続して回転し続けるモーターではなく、1秒間に1度だけ動かし、その他のタイミングでは動かないようにすることで、省電力で耐久性の高いモーターにすることに成功した。このようなモーターはステッピングモーター、あるいはパルス式モーターと呼ばれる。

 このように、各種構成要素を小型化・省電力化することによってクオーツ式の腕時計は誕生した。1969年12月にセイコーは世界初のクオーツ腕時計「セイコー クオーツ アストロン35SQ」を発売する。価格は45万円、ムーブメントの大きさは機械式腕時計よりもわずかに大きい外径30ミリ、厚さ5.3ミリであった。当時の乗用車より高い時計であった。

セイコー クオーツ アストロン35SQ

セイコー クオーツ アストロン35SQ

画像提供:セイコーホールディングス、セイコーウオッチ

 その後セイコーはクオーツ腕時計の量産化を進める。最も重要であったのは電子回路をハイブリッドICからCMOS-ICに変更し、大量生産を可能にすることであった。当初CMOS-ICの生産は、米国のベンチャーであるIntersil社に依頼したものの、歩留まりが悪く、実用に堪えないものであった。そこでセイコーは1972年にCMOS-ICの量産を自社で行うことによって大衆向けにクオーツ腕時計を発売した。クオーツ腕時計はわずか数年で市場の大半を支配するに至る。

 クオーツ・CMOSによる新型腕時計は、1950年頃から進めていた自動一貫生産システムとの相性も良く、組立工程の生産性を一気に上げることになった。機械式腕時計を手で組み立てる場合よりも150倍程度の速さで組み立てることができるようになったのである。

 機械式腕時計のスイス各メーカーの生産能力は年間せいぜい数十万個、メーカーによっては年数万個程度の能力しか持っておらず、熟練職人に頼った手工業であった。日本のメーカーの年間生産個数も2400万個程度であった。クオーツの誕生で大量生産が可能になった結果、年間生産個数は1981年に約1億個、1986年に約2億個を突破し、これまでにない急拡大を遂げるようになった。

(3) デジタル表示式腕時計の誕生

 機械式からクオーツ式への腕時計の変化は、コア技術を機械からエレクトロニクスに変化させるものであった。1970年代に入り、デジタル表示式の腕時計が開発されると、機械式腕時計とは全く異なる要素技術から成るエレクトロニクス製品となり、従来の時計メーカーだけでなく、半導体や電子部品などエレクトロニクス系統のメーカーも市場に参入した。

 米国の機械式腕時計メーカーは、米国の半導体企業からCMOS-ICを購入し、クオーツ腕時計に参入していた3。例えば、安価な機械式腕時計で競争力を有していたタイメックス社はRCAの液晶ディスプレイ工場を買収し、デジタル表示のクオーツ腕時計を製造した。CMOS-ICを供給する半導体メーカーの中には、液晶ディスプレイメーカーを買収して、自らデジタル表示式腕時計の製品・半製品市場に参入した企業もあった。インテルは1972年に液晶ディスプレイベンチャーであったマイクロマ社を買収し、デジタル表示式腕時計市場に参入している。このほか、フェアチャイルド社やモトローラ社、テキサス・インスツルメンツ社等がデジタル表示式のクオーツ腕時計市場に参入した。

 この時期、米国メーカーの一部では、表示装置として液晶ディスプレイではなく発光ダイオード(LED)を模索した企業もあった。しかし、LEDは消費電力が大きかったために、ボタンを押している間だけLEDを光らせて時間を確認する仕組みにせざるを得なかった。結果的にはこの不便さがLEDによるデジタル表示式腕時計の衰退へとつながった。

 日本では1973年にセイコーが液晶ディスプレイによるデジタル表示式腕時計を発売し、事実上このモデルがその後のデジタルウォッチの標準となった。時計産業外からはカシオ計算機がデジタル表示式腕時計市場に参入した。シチズンではデジタル表示とアナログ表示の両方を組み込んだ8900という製品も作られた。

1973年発売のセイコークオーツLC V.F.A. 06LC

1973年発売のセイコークオーツLC V.F.A. 06LC

画像提供:セイコーホールディングス、セイコーウオッチ

(4) ムーブメントの販売と事実上の標準

 水晶振動子とICの内製化を行ったセイコーは、その後、それらの部品を外販するようになった。1973年には半導体事業部が設立され、半導体は単独で事業として経営されるようになった。1976年には水晶振動子の外販も始まるようになる。

 1982年にシチズン時計(以下「シチズン」と呼ぶ)は、アナログ・クオーツのムーブメント「2035」を販売開始した。大きさが6×8リーニュ(1リーニュは約2.255ミリメートル)、3針(時針、分針、秒針)を備えたムーブメントで、このムーブメントは男性用にも女性用にも使用することができる。シチズンは、「2035」一種に絞って大量販売することで、このクオーツムーブメントを普及価格帯腕時計向けの事実上の標準におしあげた。このようなシチズンの動きにセイコーも追随した。ムーブメントの外販が進むとともに、完成品を組み立てるメーカーが香港に多数出現するようになった。香港のメーカーは安価な労働力を求めて中国でも組立生産を行うようになった。このようにして、クオーツ腕時計の登場とその後の数々の改良、ムーブメントの外販と新規参入企業の拡大によって、腕時計は日常品として世界的に広く普及するようになったのである。

 クオーツの普及により、その後、ストップウォッチ機能や計算機能などの多機能化、また、薄型を追求したドレスウォッチの登場などの多様化が進んだ。

 さらに近年では、標準電波を受信して原子時計と同等の精度を維持する電波時計や世界のあらゆる場所で、GPS衛星のシグナルを受信し即座に現在地の時刻を表示するGPSソーラーウォッチが実現するに至った。

 

 (本文中の記載について)

  ※ 社名や商品名等は、各社の商標又は登録商標です。

  ※ 「株式会社」等を省略し統一しています。

  ※ 氏名は敬称を省略しています。

 


TOP