公益社団法人発明協会

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家庭用ゲーム機・同ソフト

概要

 我が国の家庭用ゲームハードウエア・ソフトウエア総出荷額は、2007年に2兆9364億円を記録し、有料携帯電話ゲームコンテンツ等を加えると3兆円を超えるものとなった12

 最初のヒットゲームは、アーケードゲーム(業務用ゲーム)から誕生した。1978年に太東貿易(現 タイトー)が発売した「スペースインベーダー」は、それまでになかった双方から攻撃するゲームで、出荷直後から大ヒットとなり、アーケードゲームとしては異例の50万台が販売された。1980年に中村製作所(現 バンダイナムコゲームズ)が発売した「パックマン」は、暗いイメージの強かった当時のゲームセンターの雰囲気を変えることを目指して開発された。キャラクターの分かりやすいデザインも受け入れられ、合わせて29万台が販売され、アニメーションなど430タイトルに及ぶライセンス商品が誕生した。1981年に任天堂が発売した「ドンキーコング」は、ストーリー性とキャラクター(マリオ)が評判を呼び、大ヒットゲームとなった。このゲームの成功は、次の「ファミリーコンピュータ」の大ヒットを支えるものともなった。

 任天堂が1983年に発売した「ファミリーコンピュータ」は、中央演算装置(CPU)として音源機能付き8ビット6502互換CPUを用い、任天堂とリコーが共同開発した画像専用LSIを搭載した、アーケードゲームに負けないグラフィック機能を持つ新しい家庭用ゲーム機である。1985年にはキラーソフトの「スーパーマリオブラザーズ」がリリースされ、家庭用ゲーム機市場は「ファミリーコンピュータ」の独壇場となった。このゲーム機の成功は、ゲームソフトの相乗効果によるものであり、サードパーティの貢献も大きなものであった。任天堂はゲームソフトの開発・販売ができる企業をライセンス契約した企業に限定し、ライセンシーには年間製作本数に上限を設け、開発したゲームソフトは全て、ファミリーコンピュータ本体上で正常に動作する事を確認するために任天堂で検査を受けることを求め、ファミリーコンピュータ本体を購入したユーザーが安心してゲームを楽しめる環境を構築した。これらは粗悪ソフトの氾濫により衰退した米国ゲーム産業の轍を踏むことを避けたものとも言われる。また、「ファミリーコンピュータ」を商標登録し、この商標を雑誌や書籍で使用する際には「ファミリーコンピュータ」が任天堂の登録商標であることを記載することを求めた。「ファミリーコンピュータ」の全世界の累積販売台数は6191万台3に達した。

1983年発売の「ファミリーコンピュータ」

1983年発売の「ファミリーコンピュータ」

画像提供:任天堂

 ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下「SCE」と呼ぶ)4が1994年に発売した「プレイステーション」は、3D画像を実現した画期的なゲーム機である。メインCPUとしてワークステーションにも搭載されていた32ビットRISC CPU R3000を独自にカスタマイズしたものを採用し、3Dコンピュータ・グラフィックス(3DCG)のために別途数値演算専用LSI(GPU)を搭載した。発売された日、用意された10万台が1日で完売し、追加注文が殺到する大ヒット商品となり全世界での累計生産出荷台数は1億249万5と、家庭用ゲーム機としてはじめて1億台を超えた。

 我が国のゲーム機・ゲームソフトのイノベーションは、最新の情報処理技術を駆使したプラットフォームの開発と、多くのゲームクリエータにより実現したものである。


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