安定成長期
UMAMI
概要
動物が生理学的に食物から得る味覚は、様々なものがあるが古来「甘酸鹹苦」という4つの味(甘味、酸味、塩味、苦味)を基本とし、その組合せによって多様な味覚を得ると考えられてきた。1908年、東京大学の池田菊苗教授(以下「池田」と呼ぶ)は、グルタミン酸ナトリウム(以下「MSG」と呼ぶ)の発見によって、これら4つでは説明できない第5の基本味が存在することを主張し、それを「うま味」と名付けた。しかし、それが国際的科学的に認知されるまでには一世紀近い歳月を要することとなった。
MSGは、その発見を商品化した鈴木製薬所 (現 味の素。以後「味の素」と呼ぶ)によって戦前から海外に輸出されてきた。しかし、戦後の同社は戦時爆撃による工場施設の破壊や満州との関係喪失による原料大豆の入手難などに直面し、戦前の生産量及び輸出量を回復するまでにはともに8年の歳月が必要であった。それでも昭和30年代に入ると直接発酵法などMSGの量産化技術の進展や他の核酸系うま味物質との併用によるうま味増進効果の発見などにより多様で高度な調味料の商品化が展開されるようになった。輸出の伸長は目覚ましく1963年には、戦前の6.4倍に上る輸出量(9659トン)を実現するまでになった1。
うま味調味料の海外展開とともに日本古来の調味料でもある醤油の海外販売も昭和30年代から本格的に展開され始めた。昭和32年野田醤油(現 キッコーマン。以下「キッコーマン」と呼ぶ)は、米国サンフランシスコに醤油の販売会社を設立した。そして、醤油が肉料理にも適した調味料であることを紹介し、中でも1961年のテリヤキソースの販売成功などにより米国での醤油市場を開拓していった。
1960年代に入ると、安全性の問題が生起された。醤油では発がん物質のアフラトキシン問題が発生した。キッコーマンは、中央研究所で製造過程全般での検証を行い麹菌は同物質を生産しないことを証明した。
MSGにおいてはその安全性を疑問視する見解が米国政府において提示され、「味の素」はじめ調味料業界は安全性に関する科学的検証を積み重ね、米国食品医薬品局による認定を得ることとなった。
1970年代にはMSGの海外における需要の増大に伴い、味の素は輸出から現地生産中心へと供給体制を転換した。その結果、現地の食材に合わせたうま味を追求した調味料やそれを使った食品が、現地で日本のブランド名で製造され普及していった。キッコーマンも米国での需要は増大していたが輸送コストや円高に直面し、社運をかけて現地工場の設立を決定した。それは現地の素材で日本と変わらぬ味を作り出した。醤油はアメリカの食卓になくてはならない調味料として浸透し、この成功は「食文化の国際交流の顕著な例証」と称賛された。
調味料の普及とともに、うま味成分の本家ともいえる和食も、次第に注目されるようになった。かつて時には「生魚、海草を食べる」と忌避された日本の食文化は、伝統的にうま味を追求し、かつ洗練された料理法などにより次第に海外の関心を高め、1970年代の米国における寿司ブームに始まり、やがて健康食品としての一大ブームを引き起こすところとなった。その人気は米国から欧州そしてアジアへと広がり日本食レストランは全世界に広まっていった。
1985年、ハワイで第一回のうま味国際シンポジウムが開催された。それを機に「うま味」は、「UMAMI」として国際的に認識されるようになった。2002年カリフォルニア大学のグループが舌にグルタミン酸の受容体があることを発見した。うま味は第五の基本味覚であることが科学的に立証された。
そして、2013年、和食はユネスコの無形文化遺産となった。「うま味」から「UMAMI」への展開とともに和食も国際的文化産業へと認定されることとなった。
画像提供:味の素
画像提供:キッコーマン