安定成長期
家庭用カムコーダ
イノベーションに至る経緯
(1)家庭用ビデオの開発と普及
家庭用ビデオが普及し、ビデオカメラを使って自分で映像を撮ることもできるようになった。ポータブルビデオカセットレコーダーとビデオカメラの開発が据置型と並行して行われていたが、当時のカメラは、ビジコンやトリニコンという真空管式の撮像管を用いており、ビデオカメラとポータブルビデオカセットレコーダーを別々に持つ必要があった。接続するためのケーブルも太く、重量はカセットレコーダーが電池を含めて約10 kg、ビデオカメラも4.5 kgという、非常に重たいものであった。
(2)カメラとビデオの一体化
この使い勝手の悪さを何とかしようと各社、工夫を凝らした。カメラとビデオレコーダーの一体化である。ソニーはこれを打開するため、思い切って再生機能を取り払い、録画専用としてカメラとビデオを一体化、さらに、バッテリーをグリップの中に組み込むという工夫をし、ベータムービー(BMC-100)として1983年に発売した。これが家庭用ビデオカメラ一体型カムコーダの第1号機といえよう。同時期、日本ビクターもビデオカメラ一体型機を開発しており、1984年にGR-C1を発売している。これはVHSのカセットにアダプター形式で収めることができるVHS-Cという小型のカセットを用い、録画時間を20分に絞ることで小型化に成功した。この小型カセットの採用については後に述べるソニーの小型化プロジェクトが大きな影響を与えていた。
図1 ソニーのBMC-100と日本ビクターのGR-C1
出典:ソニー、JVCケンウッド、特許第3368637号
(3)小型化プロジェクトと統一規格
実はベータマックスやVHSが発売された直後の1977年、ソニーでは、後に8mmビデオの原型となる、ビデオレコーダーの開発プロジェクトが始動していた。ソニーのトップ井深大(以下「井深」と呼ぶ)、そして常務取締役開発部長でビデオ開発の第一人者・木原信敏が構想を練っていたのである。井深からの指令はベータマックスやVHSの10倍の記録密度を達成すること。ここでのイノベーションの一つが従来の酸化鉄テープからメタルテープや蒸着テープの開発実用化で、大幅な記録密度の向上が達成された。一方、社長の岩間和夫(以下「岩間」と呼ぶ)からは、撮像管に代わる画期的な半導体撮像素子CCDを使ったビデオカメラを使ってビデオカメラ一体型レコーダを作れという指令が出た。1980年の正月のことである。このとき開発の中心にいたのが森尾稔(以下「森尾」と呼ぶ)である。森尾のグループは突貫工事でプロトタイプを作り上げ、7月1日、東京とニューヨークで同時発表を行った。当時はベータマックスとVHSがフォーマット戦争にしのぎを削っていた真っ最中であり、盛田昭夫らトップは、このような互換性のない状態は長い目でみれば業界にマイナスであるという思いがあった。この試作品発表は、これをきっかけにして、業界統一規格を作ろうという呼びかけでもあった。時を同じくして、その年の9月に日立製作所がマグカメラという名称でMOS半導体撮像素子のカメラを用いた小型の一体型VTRを発表、翌1981年2月には松下電器産業(現 パナソニック)が蒸着テープを使った同様のVTRを発表した。
図2 カムコーダの原型となる試作品
出典:国立科学博物館「技術の系統化調査報告 ビデオカメラ技術の系統化」
図3 ソニーのCCD-V8とCCD-TR55
出典:ソニー
(4)「パスポートサイズ」ハンディカム
CCD-V8のサイズは、小型化とはいえ全長30㎝以上、重さも1.97kg(バッテリー、カセット含まず)というものであった。VHS-Cとの差別化に腐心していたソニーは1986年末、「夢の8mmビデオを1988年8月8日に商品化する」という新たなプロジェクト「プロジェクト88」を立ち上げた。徹底的な小型化にこだわり、高密度実装を軸として、レンズの小型化による集光率の低下をCCDの感度向上で補ったり、マイクの出っ張りを減らすためにマイクをきょう体に内蔵するとメカの音も拾ってしまうため、ノイズキャンセル技術で影響をなくしたり等の工夫を加えた。その結果、1989年に発売した超軽量790gのハンディカムCCD-TR55が大ヒットし“パスポートサイズ”のキャッチフレーズが一世を風靡した。
(5)高画質化と高機能化
テープやヘッドの高性能化に伴い、日本ビクターがVHSを大幅に画質向上させたS-VHSフォーマットを1987年に発表、輝度信号と色信号を分けて伝送するS端子を備え、解像度400本という当時のNTSC放送では伝送できないような広帯域化を達成した。この性能は、放送録画よりもむしろカメラ録画に有効であった。1987年にS-VHS-Cカセットを用いた初のカムコーダ「GR-S55」が発売された。これに対抗して8mmビデオ陣営も同じく解像度400本以上をうたうHi8規格を策定、第1号機「CCD-V900」を1989年に発売した。Hi8ではHi8専用のメタルテープのMPタイプ、蒸着テープのMEタイプの二種類のカセットが採用された。高画質で映像を残したいというユーザーニーズからカムコーダはほとんどがHi8とS-VHS-Cフォーマットになった。
ビデオカメラの小型化、高ズーム倍率化及び高画質化に伴い、撮影時の手ぶれが問題になってきた。この手ぶれを光学的に補正する機能を1988年松下電器産業が初めてS-VHSビデオカメラ「PV-460」に搭載した。以降、電子的な手ぶれ補正方式も開発され、各社、それぞれに手ぶれ補正機能を搭載するようになった。
また、シャープは1992年、ビューファインダーの代わりに液晶ディスプレイを全面に押し出したビデオカメラの新たなスタイルを提案、液晶ビューカム「VL-HL1」を発売し、評判を呼んだ。
図4 液晶ビューカムとデジタルカムコーダ
出典:シャープ、ソニー
(6)デジタル化
デジタル化の波は民生用ビデオにも訪れた。8mmビデオが高画質化にシフトし始めた1990年ころから民生用デジタルビデオの開発が始まった。1994年にHDデジタルVCR協議会より家庭用としてデジタルビデオフォーマットDVフォーマットが発表された。DVフォーマットでは据え置きデッキ用の標準カセットとカムコーダ用のミニDVカセットが規定された。1995年ソニーからミニDVカセットを用いたデジタルハンディカム「DCR-VX1000」が発売された。以降デジタルカムコーダ市場はミニDVカセットを用いたものがデファクトとなった。その後フォーマットはさらに進歩し、SD(標準画質)からHD(ハイビジョン画質)に拡張されている(HDVフォーマット)。DVフォーマット、HDVフォーマットはIEC 61834シリーズとして国際規格化されている。
(7)ハードディスク(HDD)から半導体メモリーへ
画像、音声圧縮技術の進歩並びに記録媒体、特にディスクメディアの高密度記録化により、従来のテープカセットよりも巻き戻し不要でアクセスがしやすい光ディスクを記録メディアとしたカムコーダが開発され、さらに、記録単価が下がってきたHDDや半導体メモリーを記録媒体として使用するカムコーダが出現した。圧縮規格としてはMPEG 4(H.264)方式で記録するAVCHD規格が代表的である。4K対応の高画質化も進んでおり、カムコーダの進化はとどまるところを知らない。