安定成長期
ATM
概要
ATM(「現金預け払い機」)、は「オートマチック・テラー・マシン」(Automatic Teller Machine)の略である。テラーとは、銀行の窓口で顧客の応対をする人のことであるが、ATMは預金者自らが機械を操作し、現金の引出し、預け入れや振込みを行うことを可能としたものである。
ATM 以前にも機械で現金の引出しだけができる「キャッシュ・ディスペンサー」(「現金自動支払機」ないし「現金自動引出機」、以下「CD」と呼ぶ)があった。1960年代から欧米日本で利用されていたが、ATMはこのCDの引出機能に加え入金、振込み、さらに近年では融資機能をも有する無人店舗ともいえる金融窓口機能を備えるまでになっている。
ATM の開発によって、従来は金融機関の窓口で、預金者が印鑑を提出し、通帳への記帳によって現金の受払いや送金を行っていた業務が全て自動化され、コンピューター・オンライン・システムによって処理されるところとなった。現金出納担当のテラーが不要となり窓口人員の大幅な合理化が実現するとともに、現金授受に係わる一部の事故(例えば、ミスによる勘定の差異)への対応に要する多大な労力を大幅に減らした。預金者も長時間の順番待ちがなくなり、財布代わりの小口引出しを銀行の閉店後も利用できるようになった。
CD、ATMいずれもそのメカニカルな発明は日本ではない。しかし、欧米でのそれが窓口での使用にとどまっていたのに対し、1960年代後半、世界で初めて銀行の本支店間業務にオンライン・リアルタイム・システム(以下「オンライン化」と呼ぶ)を導入し、CDそして後にはATMと接続して預金者にまでつながるネットワーク化を実現したのは、日本の三井銀行(現・三井住友銀行)や平和相互銀行(現・三井住友銀行)をはじめとした日本の銀行業界であった(欧米でのオンライン化は80年代に入ってから本格的に進展し始めたものである1)。日本におけるオンライン化とCDそしてATMの活用は、預金者の便宜を著しく向上させるとともに銀行業務の簡素化、迅速化そして金融関係機関相互のネットワークの構築、更にはその再編統合にも大きな役割を果たしていった。
第1次オンライン化から10年後の1975年以降、日本の都市銀行は2回目のオンライン化のための投資を相次いで行った。CD の普及はキャッシュ・カードによる現金の引出しを可能とし、その便利さゆえに再び預金者の行列をつくることとなっていた。この2回目のオンライン化はこうした急増する窓口業務等の簡素化、本支店間業務の効率化、そしてATMによる更なる預金者の獲得を目指したものであった。その効果は大きく、預金者は引出しのみではなく、預け入れから送金までできるようになるとともに、他行からも自らの預金の出し入れが可能になった。さらに銀行間ネットワークの形成が進み、最終的には郵便貯金とのそれも実現した。
日本のATMは、さらに機械技術面からも画期的な新機能開発に成功した。1982年沖電気工業は入金した紙幣を支払いにも使用し得る現金還流システムを開発し商品化した2。
1990年代以降、ATMは新たな参入者によって更なるサービスの向上を提供するものとなった。1日に24時間稼働するものや土日も利用できるもの、料金の収納代行サービスや国際カード・サービスが可能なもの、そして小口融資などのリテイル・バンキング・サービスは、その後コンビニエンス・ストア(以下「コンビニ」と呼ぶ)や外資系銀行あるいはカード会社や消費者金融によって推進されてきた。コンビニのATMによる電気、ガスの公共料金窓口支払件数は1998年には銀行のそれをしのぐまでになった3。
OKI AUTO TELLER
画像提供:沖電気工業