安定成長期
半導体露光装置(ステッパー)
発明技術開発の概要
いち早くステッパー開発に成功したニコンが蓄積してきた要素技術を整理し、日本メーカー2社が成し遂げたステッパーの技術進歩について述べる。
(1)光学技術
光学兵器の国産化を目的として1917年に設立されたニコンは、当初はドイツから技術者を招聘して指導を受けたものの、徐々にレンズの設計・製造に加え、高品質の光学ガラス製造技術35を蓄積、戦後は顕微鏡用レンズ、カメラなど民需転換により事業を継続した。特にカメラ用レンズで評価を高めたニコンは、字画の多い漢字原稿を縮写する解像力の高いマイクロレンズを開発する必要に迫られ36、試行錯誤を経て、1954年に「マイクロニッコール5センチメートルF3.5」を完成させた。
折しも1959年には、シリコン基板上にトランジスタを製作する手法であるプレーナー技術37が発表され、特許化された。翌年には、ニコンのレンズ技術に対する評価が高まっていたこともあり、国内の電気、印刷業界からマスク製作用レンズに関して照会が寄せられた。印刷会社の製版用レンズでは、解像度が低いためマスク製作用に適さず、ニコンに対応を求めるものであった。ニコンは脇本善司を中心に急遽レンズ開発プロジェクトを立ち上げ、1962年に当時最高の解像力とされたマスク製作専用高解像力レンズ「ウルトラマイクロニッコール105ミリメートルF2.8」の開発に成功している38。このレンズ開発がニコンのステッパー進出への足掛かりとなるが、以後同レンズシリーズに改良を重ねつつ、社内でレンズ設計・製造技術者を養成してステッパーの需要増に応えていくのである39。
(2)精密加工・精密制御技術
戦前から各種精密測定器なども手掛けていたニコンは、1961年東京教育大学光学研究所よりルーリングエンジンの開発を受注する。これはダイヤモンドカッターを用いて、ガラス基板など1ミリメートル幅に1000本程度の溝を刻む超精密な工作機械であり、溝の間隔を均等に保つために極めて高度な精密加工技術に加え、位置決め・計測制御技術が必要とされるものである。開発を担当した吉田庄一郎は1964年に1号機を完成するが、精度などの点で試験・研究用途にとどまらざるを得なかった40。
回折格子の製作を社内で検討したニコンは、1967年から2号機の開発に乗り出す。再度開発担当となった吉田は、米国マサチューセッツ工科大学(以下、「MIT」と呼ぶ)方式によりルーリングエンジンを製作する米国工作機械メーカーのムーア・スペシャル・ツール社(以下、「ムーア社」と呼ぶ)に赴く。MIT方式は「ダイヤモンドカッターとガラス基板の双方の動きを完全に同期させる制御システム」41で、ダイヤモンドカッター側の光学センサー、ガラス基板側のレーザー干渉計でそれぞれ移動を計測しつつ、ガラス基板の移動速度を調整しながら刻線する方式である。見学の機会を得た吉田はその技術レベルの高さに驚愕し、帰国後、当該方式を採用したいと申し出た。社長等に掛け合った吉田は、基本的な機械部分をムーア社へ外注する以外は内製化することで了承を得るのである42。こうして1971年にムーア社から2号機の基本部分が導入されると同時に、吉田らは最先端の精密加工・精密制御技術を学び蓄積していった43。
(3)精密位置検出技術
吉田は米国での経験をもとに、社内で光電センサーの研究グループを立ち上げ、新製品のアイデアを出し合い、ステッパーにとって重要な位置検出の技術開発を行った。努力は早々に実を結び、レーザー座標測定器、半導体製造用のマスク検査装置などが製品化された44。特に、1971年に市販化された世界初の光波干渉式座標測定器は、レーザー干渉計、光電顕微鏡によりマスクのパターン寸法や座標を高精度で自動計測するもので、ステッパーのXYステージのベースとなるものであった45。
(4)ステッパーの技術進歩
第1に、ステッパーの技術は、日本メーカー主導によりスループットの面で大きく向上した。露光エリアの拡大、ウェハサイズの大型化が図られ、2000年ごろには縮小倍率4分の1、露光エリア25ミリメートル×33ミリメートル、ウェハサイズ直径300ミリメートルが主流となり46、1980年代初期に比し生産性を大幅に向上させた。
第2に、半導体高集積化に向けて解像度改善が進められた。「レイリーの式」47で知られるように、解像度改善にはレンズの開口数(NA)48を高めるか、露光光源の短波長化が有効である。メーカーは、まず費用節約的な前者を推し進めた後、後者の技術開発に取り組んだ。露光光源に関しては、1990年ごろに水銀灯の可視光域にあるg線から紫外線のi線へ49、さらに1995年ごろにはKrFエキシマレーザー光へと短波長化が進められた。光源の短波長化を推進するためには、光源の変化に合わせて性能を十分に引き出せる光学技術を有していることが重要であった50。この点にわが国ステッパーメーカー2社が世界を制する競争力の原点を見ることができる。