安定成長期
家庭用ビデオ(カセット)
概要
1965年に世界に先駆けて我が国で開発・商品化された家庭用ビデオテープレコーダ(以下「VTR」と呼ぶ)は、その後、カラーテレビの普及とともに、カラー化・カセット化され、1990年代には全世帯の70%以上に普及するものとなった。その主流となったビデオカセットレコーダ(VCR)は我が国の持つメカトロニクスを駆使したものであり、開発された2つの方式(ベータマックスとVHS)が世界市場を席巻するものとなった。1980年代には国内で生産されるVTRの8割以上が海外に輸出され、その金額は1984年には1兆6000万円を超えた。
戦後早い時期から日本のVTR研究は始められていた。世界で初めてテレビの放送を成功させた高柳健次郎は、日本ビクター(以下「ビクター」と呼ぶ)においてその研究にとりくんでいたし、ソニーの創業者のひとりである井深大(以下「井深」と呼ぶ)には、VTRを世の中の人々が普段の生活で使えるものでなければならないという信念があった1。
1956年に米国のアンペックス社が開発した放送用VTRは、放送分野の国際的な業界標準となった。これを契機に国内メーカーは次第に放送分野から教育用、産業用、そして将来の巨大な市場が期待された家庭用にと開発の重点を移していった2。アンペックス社の技術は家庭用には必ずしも有効ではなかった。一方、東京芝浦電気(現 東芝(1984年に社名変更)、以下「東芝」と呼ぶ)の澤崎憲一は幅広のテープを回転するヘッドにヘリカル(螺旋)状に巻く「ヘリカルスキャン方式」を考案し、その試作に成功して1959年に公開発表を行った。この方式は日本メーカーの多くが採用した。
「家庭用」と銘打った世界で最初のVTR(CV-2000)は、1965年にソニーにより市場に出荷された。CV-2000はモノクロでオープンリール型のものであったが、当時の放送用VTRの100分の1以下という驚異的価格のものであった。しかしながら、カラーテレビの普及率75%が目前に迫っていたため、モノクロVTRの需要には限界があった。各社はカラーVTRの開発にしのぎを削ることになった。そして、1970年にはソニーの規格を中心とした統一規格「U規格」が国内外のメーカー8社により教育用等では普及したが一般家庭用に普及することとはならなかった。
1975年5月、ソニーはベータマックス方式による最初の家庭用カラーVTR(SL-6300)を発売した。次いで、1976年9月、ビクターはVHS方式とその最初の機種である「HR-3300」を発表した。
ここに両者による国内外のVTRのハードウエア、ソフトメーカーを二分した激しい規格競争が始まった。日本企業による激しい競争の中で、欧米企業は次々と撤退あるいは日本からのOEM供給を受けるものとなり、我が国は世界のVTR生産の中心地となった。ソニー、ビクターの競争は80年代まで続いたが、80年代後半になりVHSが世界標準となった。この間にVTRの生産額は1981年に1兆円を超え、1984年には2兆円を超えてテレビを上回り家電売上げ最大の製品となった。
VHS第1号機(HR-3300)
(画像提供:JVCケンウッド)