公益社団法人発明協会

安定成長期

炭素繊維・炭素繊維複合材

概要

 炭素繊維の起源は、19世紀末にトーマス・エジソンとジョセフ・スワンが木綿や竹を焼いて作った炭素繊維を用いて電球を発明したことにまで遡ることができる。その後、1950年代に耐熱性が要求されるロケット噴射口の材料が求められ、1956年に米国でレーヨンを用いた炭素繊維が開発された。

 日本においては、1959年に大阪工業試験所(以下「大工試」と呼ぶ)の進藤昭男(以下「進藤」と呼ぶ)によりアクリル繊維を用いたポリアクリロニトリル(以下「PAN」と呼ぶ)系炭素繊維が発明され、次いで1963年に群馬大学教授の大谷杉郎(以下「大谷」と呼ぶ)により、ピッチ1を使ったピッチ系炭素繊維が発明された。

 進藤の論文が1963年7月の米国炭素会議で発表されると2、欧米の研究者にも大きな衝撃を与えた。この炭素繊維は従来のレーヨンによる炭素繊維に比べて品質面で優れていたことから、とりわけ英国では、英国王立航空研究所(Royal Aircraft Establishment。以下「RAE」と呼ぶ)が、翌1964年に改良したPAN系炭素繊維製造法を発表するなど、炭素繊維を複合材に用いる試みが一気に拡大した。

 高機能炭素繊維の工業化に成功したのは、炭素メーカーではなくそこに素材のアクリル繊維を供給していた合繊繊維メーカーの東洋レーヨン(現 東レ。以下「東レ」と呼ぶ)であった。ナイロンの製造方法の新規開発を行っていた東レの基礎研究所において、後のPAN系炭素繊維の製造に結び付く重要な新規化合物を発見したのである。東レは、自らPAN系炭素繊維の本格的生産に取り組みその工業化に成功した。次いで東邦レーヨン(現 東邦テナックス。以下「東邦テナックス」と呼ぶ)と三菱レイヨンが市場参入した。

 しかし、自国に大きな航空宇宙産業を持たない日本にあって、事業化当初は「市場が皆目不明」といった状況であった3。最初に用途として注目されたのは釣り竿やゴルフクラブのシャフト、またテニスやバドミントンのラケットなどのスポーツ用品であった。その後、1970年代半ばに米国連邦航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration。以下「NASA」と呼ぶ)が燃費削減を目指したプログラムを始動し、これに東レの炭素繊維が採用されたことによって航空宇宙産業が大きな供給先となった。炭素繊維の軽量で強く、また腐食しないといった特性は、やがて燃料効率化や地球環境問題への注目が高まる中で、自動車、建築材料、環境・エネルギー、エレクトロニクス、医療、産業機械へと拡大した。現在炭素繊維の90%以上はPAN系炭素繊維によるものである。

 一方のピッチ系炭素繊維においては、1970年に呉羽化学工業(現 クレハ。以下「クレハ」と呼ぶ)が世界で初めて等方性ピッチを原料とした汎用短繊維を工業化した。等方性ピッチ系炭素繊維はPAN系炭素繊維や異方性ピッチ系炭素繊維に比べ、強度や弾性率において劣る。しかし、軽量で柔軟性があり、また耐熱性にも優れるといった特性があるため、高温工業用炉の炉内材料などの用途に活用されている。

 欧米企業の多くが期待した成果を得られず撤退又は事業を縮小した中で、日本企業は、当初は市場の開拓に苦しみつつも、やがて欧米航空宇宙産業の需要に応え、炭素繊維向け原料糸を敏感なプロセスに合わせて最適化することにより、そのシェアを拡大し、全世界の70%を占めるまでとなった。

 炭素繊維・炭素繊維複合材は、我が国の産学官の連携により「20世紀の材料革命」を実現したイノベーションである。


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