現代まで
DVD
概要
DVDは、厚さ0.6㎜、直径120㎜の円盤2枚を張り合わせたディスクに映像・音声等のデジタルデータを記録し、赤色レーザーを用いたピックアップにより読み取る光ディスクである。
1990年代に入り、画像処理技術が急速に進展するとともに、米国映画産業等から劇場で観るものと同じような臨場感を持ち、ほとんどの映画を1枚に記録できる135分の容量を持ち、かつ低価格である光ディスクの開発が要請された1。オーディオの分野では早くからコンパクトディスク(CD)が採用されていたが、CDの波長では3GBを超える大容量化が困難と考えられていたことなどから、我が国の電機メーカーは革新的光ディスク開発への挑戦を始めた。
CD規格を主導したソニーとフィリップスは、新たに赤色レーザ・ダイオードを用い、フォーマット効率を向上することにより、3.7GBの容量を持つMMCD(Multimedia CD)を開発し、1994年12月にこれを新しい高密度光ディスクの規格候補として提唱した。一方、早くから新しい光ディスクの研究・開発を行っていた東芝は、相変化光ディスクを開発する中で、0.6㎜基板を用いることにより対物レンズの開口数2(NA)を高め、高密度化が可能なことを実証していた。松下電器産業 (現 パナソニック。以下「パナソニック」と呼ぶ)もまた、0.6㎜基板2枚を張り合わせることにより光スポットの歪みを半分に抑え、記録容量を大幅に増加する技術を開発していた。これらの技術をベースに、東芝とパナソニックは赤色レーザー技術を適用した5.0GBの容量を持つSD(Super Density Disc)方式を開発し、1995年1月に高密度光ディスクの規格として提唱した。SDグループには、タイム・ワーナー、日立製作所、パイオニア、トムソン、日本ビクター(現 JVCケンウッド)が参加した。
各社は競合が進む中で、市場に出る前に規格戦争を回避する努力がなされた。両陣営に中立的な立場のIBMを仲介役に加え、統一交渉が行われた。SD規格(東芝、パナソニック陣営)からディスクの貼り合わせ構造とエラーコレクション方式を、MMCD規格(ソニー、フィリップス陣営)からサーボトラッキング方式と信号変調方式を採用し、ベストな技術を組み合わせた新規格DVDが誕生した。
1996年11月、最初のDVDプレイヤーが東芝及びパナソニックから発売され、その翌月にはパイオニアがDVDプレイヤーとDVD/LD/CDのコンパチブルプレイヤーを発売した。DVDの普及のカギを握っていたマシンの低価格化はソニー・コンピュータエンタテインメントが2000年に発売した家庭用ゲーム機により火がつけられた。DVDドライブを搭載した「プレイステーション 2」(以下「PS2」と呼ぶ)は発売から3日間で累計販売台数98万台を達成するという大ヒット商品となり、DVDを家庭に普及させる原動力となった。
書き込みのできるDVDレコーダは1999年にパイオニアにより発売された。DVDプレイヤーについてはその後大衆化が進み、日本以外でも製造されるようになったが、DVDレコーダについては我が国の技術が世界市場をリードし続けた。また、記録型のDVDドライブはPCの標準機能として搭載され、高速記録の技術や薄型ドライブの技術を進化させ続けた。
2010年には、日系企業の記録型DVDドライブの売上高は4047億円あり、世界市場の80%を占めた3。
画像提供:パナソニック