公益社団法人発明協会

現代まで

スーパーコンピュータ

イノベーションに至る経緯

(1) スーパーコンピュータの歴史

 世界で最初の商用スーパーコンピュータは、米国のControl Data Corporation (CDC)が1964年に発表したCDC6600といわている。スーパーコンピュータの父と呼ばれるSeymour Crayが開発したこのコンピュータは、浮動小数点演算能力は1MF10psという当時としては驚異的速度を誇った3。1972年にはCDCのSTAR-100とテキサスインスツルメンツ社(TI)のASCが登場し、ベクトルデータをひとまとめにして処理するベクトルマシンとしてのスーパーコンピュータが開発され、我が国でも科学計算用高速コンピュータが注目されるようになった。同じ年、イリノイ大学とBurroughs CorporationはILLIAC IVを発表した。このコンピュータは、256個のプロセッシングユニットを4つのコントールユニットで制御するもので、並列プロセッサ型スーパーコンピュータの先駆けとなった。

 1976年、その後のベクトル型スーパーコンピュータのベースとなったCRAY-1が出荷された。ベクトルデータ用レジスタを設けた「ベクトル・レジスター方式」によるこのコンピュータは、商業的に成功した最初のスーパーコンピュータとされている4

(2) 国産スーパーコンピュータの誕生

 1960年ごろ、世界のコンピュータ業界は、「エレファント」と称されたIBM社が君臨し、日本のメーカーは「モスキート」とさえ呼ばれていた。通商産業省(現 経済産業省)は、国内の有力メーカーにより鉱工業技術研究組合法による研究組合を組織し、当時の代表的大型コンピュータであったIBM7090やUNIVACUIIIと同等以上のものの国産化を計画した。この構想の下に富士通信機製造(現 富士通)、沖電気工業、日本電気が参加し、1962年に「電子計算機技術研究組合」が発足し、大型コンピュータFONTACの共同開発を開始した。

 1964年、IBM社は、第3世代コンピュータといわれるIBMシステム360シリーズを発表した。360シリーズは使用目的に応じてソフトウェアを交換する従来の機種と異なり、小型機から大型機まで共通ソフトウェアを使用できるワンマシンコンセプト、集積回路化による小型化・高信頼化などを実現した画期的なものであった。更に1970年にIBMは集積回路の大規模化等により価格性能比を飛躍的に向上させたシステム370シリーズを発表した。

 IBM社の動向に危機感を抱いた通商産業省は、日本のコンピュータメーカに大規模な電子計算機等開発促進補助金、超LSI開発促進補助金を交付し、技術のキャッチアップを促した。富士通が開発したFACOM  Mシリーズ、日立製作所のHITAC  Mシリーズ、日本電気などのACOSシリーズはその成果であり、ハードウェア・ソフトウェアのレベルアップの結果1980年代においては、日本の汎用コンピュータが欧米に輸出されるほどまでになった。

 この汎用コンピュータの技術力アップが、我が国のスーパーコンピュータ開発の強固な土台となった。1976年のCRAY-1の登場は、科学技術用途に特化した高速コンピュータの開発必要性を認識させ、日本でも国産化の機運が盛り上がった。富士通は大型コンピュータにベクトル処理機能を持つプロセッサーAPU(Array Processer Unit)を非対称マルチプロセッサーとして付加するものを開発した。日立は大型コンピュータにベクトル処理機能を内蔵する内蔵型アレイプロセッサ(IAP:Integrated Array Processer)を開発した。IAPには初めて自動ベクトル化コンパイラが用意された。日本電気もIAPタイプのものを開発した。

 1982年以降、富士通、日立、日本電気は、専用に設計されたアーキテクチャーと高速の論理演算素子を用いた機種を開発し、次々に日本初のスーパーコンピュータ開発に成功した。

  1982年に発表された最大250MFLOPSの能力を持つ富士通VP-100 は、超高速LSI、64kビットSRAMなど最新の素子を採用するとともに、実際のFORTRAN プログラムの解析に基づいてハードウェア・アーキテクチャーを設計し、自動ベクトル化機能等のソフトウェア技術を備えたものであった。VP-100の1号機は1984年に名古屋大プラズマ研究所に納入された。                                                    

  同じ年、日立はHITAC S-810 を発表した。S-810 は、大規模な計算、数値シミュレーションを可能にするもので、膨大な数値データを高速処理する分野に特に適合するよう、並列パイプライン演算処理技術を採用し、630MFLOPS という数字を実現した。この1号機は、1983 年に東京大学の大型計算機センターに納入された。              

  日本電気は1983年にSX-1、SX-2を発表した。SX-2は、多重並列動作ができる高性能ベクトル演算パイプラインを4セット使用するとともに、我が国では初めて直接液体冷却方式によるLSI高密度パッケージを使用するなどにより、浮動小数点演算1.3 GFLOPSという当時としては世界最高の速度を実現した。

(3) 世界最先端に立った日本のスーパーコンピュータ

 1980年代後半に入ると、我が国のスーパーコンピュータの性能が急速に高まり、コスト・バフォーマンスにも優れていたことから、海外の大学、研究機関、政府機関にも注目されるものとなった。これとは逆に80年代初頭まで絶大な勢力を保ってきたクレイ社は、徐々に競争力を失い、CDC社もスーパーコンピュータ事業から撤退していった。

 このような中でいわゆる「日米スーパーコンピュータ貿易摩擦」が表面化した。1985年に米国国立大気研究センター(NCAR)、次いで1987年にマサチューセッツ工科大学(MIT)が、それぞれスーパーコンピュータの調達を行った。入札の結果、日本のスーパーコンピュータに落札が決まったが、いずれについても、その後これがキャンセルされるという事態が発生した。更に、1996年には米国国立科学財団(NSF)の入札において、日本のメーカーが提示した料金がダンピングと認定され、454%のアンチダンピング関税が課せられた。これにより、日本メーカーの多くがスーパーコンピュータの米国市場への販売が困難になる状態ともなった13

 スーパーコンピュータの性能指標として、1979年ころからLINPACK(線形代数学の数値演算を行うソフトウェアライブラリ)が使われ始めたが、1990年代に入って並列計算機が増加すると、更にLINPACKが並列向けにも改良され、スーパーコンピュータの性能指標として使われるようになった。実際に設置された計算機の性能をLINPACKに基づいた性能評価プログラムでシステムの浮動小数点演算能力を測定し(LINPACKベンチマーク)、測定結果を世界中から集め集計するプロジェクトが米国とドイツの大学研究者の努力で1993年に発足した。このプロジェクトは、世界の高速コンピュータシステムをLINPACKベンチマークで評価・ランク付けし、学会の開催に合わせて6月と11月の年2回、世界上位500位までを発表するもので、通称TOP500と呼ばれるようになった。1993年から2000年代初頭までの間にこのランクのトップに位置づけられた日本製スーパーコンピュータは以下の4台であった。

 

(数値風洞)

 (NWT)「数値風洞(Numerical Wind Tunnel)」(以下NWTと呼ぶ)は、1987年、航空宇宙技術研究所(以下「航技研」とよぶ。2003年10月より宇宙航空研究開発機構 JAXAに統合)が富士通と共同で開発したスーパーコンピュータシステムである。新しいスーパーコンピュータは、まず2~3年後までに、それまでのものの10倍以上の能力を持つ計算空気力学専用の計算機(超高速数値風洞)を開発し、それを踏まえて、1990年代までにはこれを上回るものの開発を目指すこととしたとした。そして、1989年からは、「実際の風洞設備」と同じ能力を持つものとしてのNWTの開発が開始された。

 NWTは当時富士通のスーパーコンピュータFACOM VP-400の100 倍以上の実効性能を目標に開発された。NWTの製造は、1991年に開始され富士通では100人を超えるハードウエア設計者、100人を超えるソフトウェア技術者・システム技術者が、工場の製造試験メンバーと一体となり、共同開発作業を約1年間続けた19。そして、1993年1月にNWTは航技研へ搬入され、同1月に稼働した。

 NWTの商用モデルVPP300/700及びVPP5000となったVPPシリーズは、数値流体力学、気象予報など数値シミュレーション分野で高速計算を求める国内外の研究機関、政府機関、大学に納入された。この中には、欧州中期予報センター(ECMWF)、フランス気象局(METEO FRANCE)等が含まれていた。

 スーパーコンピュータの能力を評価する「TOP500」において、NWTは1993年11月に日本のスーパーコンピュータとして初めて1位にランク付けされた。その後も1994年6月に2位となった後、1994年11月から1995年12月まで1位を維持し、我が国のスーパーコンピュータ技術を世界に示すものとなった。

 1994年の米国電気電子学会(IEEE)コンピュータ部門と米国計算機学会(ACM)は、SC’94(スーパーコンピューティング’94)において、140台のプロセッサーで120GFLOPSを達成したNWTに対して、我が国で初めてゴードン・ベル賞(性能部門)の特別賞を授与した。その後もNWTを利用した研究に対して、1995年、1996年と連続して部門賞を授与している。

(SR2201とCP-PACS)

 SR2201は、超並列コンピュータとして1995年7月に発表され、東京大学に設置された日立のスーパーコンピュータである。最大1024台のRISCプロセッサーが三次元クロスバーネットワークにより接続され、最大約300GFLOPSの性能が実現されていた。次に述べるCP-PACSと技術的に共通な部分が多い。1996年6月のTOP500リストの第1位を獲得し、英国ケンブリッジ大学へも納入された。

 CP-PACSは、筑波大学が日立の協力を得て開発した分散メモリー型超並列スーパーコンピュータであり、理論ピーク性能は614ギガFLOPSである。システムは2,048台の演算ユニット(Processing Unit(PU)と入出力を分散処理する128台のI/Oユニット(Input/Output Unit(IOU))からなり、これらが三次元クロスバーネットワークにより結合されている。1996年に完成したCP-PACSは、368.2GFLOPSの世界最高記録を達成し、同年11月の世界のスーパーコンピュータのTOP500リストの第1位となった。日立は開発した二つの機種がTOP500の1位を実現した。

 CP-PACS計画は1992年度の文部省(現 文部科学省)の「学術の新たな展開のためのプログラム」の実施テーマの1つとして「物理学の研究に適した超並列スーパーコンピュータ」の開発と筑波大学計算物理学研究センター(現 計算科学研究センター)の設置が予算化されたことで始まった。1996年10月より同センターにおいて運用が開始され,以降8年間にわたって稼働し、2005年9月に運転を終了した。この間、CP-PACSを用いて素粒子物理学、物性物理学、宇宙物理学分野における数値的研究などにおいて世界的な業績を挙げている。

(地球シミュレータ)

 地球シミュレータは、地球温暖化や地殻変動など地球規模でのシミュレーションを現実的な時間の枠で行えるスーパーコンピュータを設置する国家プロジェクトとして、宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構)、日本原子力研究所(現 日本原子力研究開発機構)、海洋科学技術センター(現 海洋研究開発機構)の3組織が日本電気とともに開発にあたったものである。2002年2月、海洋科学技術センター横浜研究所内に完成、設置された。

 2002年6月にLINPACKベンチマークで実効性能35.86TFLOPSを記録し、スーパーコンピュータの計算性能の世界ランキングであるTOP500でトップを、しかも第2位の IBM ASCI White に5倍の差をつけて獲得し、2004年11月に IBM Blue Gene に首位を明け渡すまで、5期連続でトップを維持した。地球シミュレータはピーク性能40TFLOPS(1秒間で40兆回の計算)と高いうえに、ベンチマークで実効性能35.86TFLOPSを記録したように、プログラムの実効性能が高いのが特徴である。

 「地球シミュレータ」の登場を、ニューヨーク・タイムズはスプートニクに先を越された人口衛星のショックをもじり、「コンピュートニク」と報じた21

(その後のスーパーコンピュータ開発への寄与)

 航技研は、NWTの問題点についての分析を踏まえ、2002年から第三世代の数値シミュレーションNS-IIIを発表した。NS-IIIは、富士通の大規模並列スカラ型スーパーコンピュータPRIMEPOWER HPC2500 18きょう体を中核機としたもので、その性能はNWTの30倍以上となった。

 スーパーコンピュータ「京」の開発は文部科学省のもとで、2005年に理化学研究所を開発主体としてスタートしたプロジェクトである。その後、コンピュータメーカー2社が製造段階での参加を辞退したため、最終的に理化学研究所と富士通により開発され、2011年に理化学研究所計算科学研究機構(AICS)に納入された。「京」は新たに開発したプロセッサ「SPARK64TMVIIIfx」を搭載し、8万個以上のノードを相互に接続するネットワークに六次元メッシュ/トーラスを採用し、2011年11月にTOP500の1位となった。

 スーパーコンピュータは、科学技術の発展にとり不可欠のものとなったが、日本のそれは国の研究機関とコンピュータメーカーの連携により、はるかに先行するアメリカの技術に追いつき世界最高級の機能を実現し、情報化時代を開拓したイノベーションである。


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