戦後復興期
ビニロン
発明技術開発の概要
もともとPVA繊維は、「ヒドロキシル基を多く持つために、水溶性であり、耐熱水性にも問題を抱え、医療用縫合糸といった特殊用途に使われるにとどまっていた」3。要するに、PVA繊維は品質に課題を抱えており、水に対して収縮、変形しやすかった。故に、これらの性質からPVA繊維が用いられた製品を“洗う”などということはできなかったので、PVA繊維が衣料用途で使用されることはなかった。
(1)ビニロンの生成過程で扱われている技術の概要
ビニロンは次のような生成過程を経て生み出される。まず石油や天然ガスからできたアセチレンを酢酸と合成することで酢酸ビニルを得る。この酢酸ビニルを付加重合4してポリ酢酸ビニルを得る。そして、ポリ酢酸ビニルをけん化5してポバールを得る。次に、ポバールを紡糸(高分子物質を繊維状に変えること)する。最後に、紡糸したPVA繊維をアセタール化6する。この一連の過程によってビニロンは生み出されるのである。
このビニロン生成過程における日本の技術者・研究者の貢献は、紡糸の段階での熱処理と、アセタール化を施すことによって、従来のPVA繊維の問題点であった水溶性と耐熱水性を改善したことである。これによりPVA繊維の用途は多様なものになった。
(2)戦前における技術開発
戦前においてPVA繊維の技術開発に取り組んだのは、鐘淵紡績と、桜田を中心とする研究室のメンバーであった。PVA繊維の開発では鐘淵紡績が先行していた。同社は、「戦前からの更生絹糸(再生絹糸)の技術と設備を生かして、紡糸した繊維を130℃から140℃の硫安水溶液中で熱処理を行い、その後でホルマリンを用いてアセタール化する7」という方法で、耐水性を得た「カネビヤン」という名称のPVA繊維を開発している。また「カネビヤン」の製造で用いられた紡糸法は湿式紡糸法であった。
一方、桜田らは、ビスコース法レーヨンと呼ばれる技術を応用して、耐水性を得たPVA繊維を開発した。これは桜田らによって1939年に「合成一号」の名称で発表された。「しかし、発表時は熱処理が施されておらず、その後の研究によって、紡糸した繊維を空気中で200℃から220℃の緊張下熱処理を施し、ホルマリンを用いてアセタール化するという工程8」を経て開発されたのが「合成一号B」であった。またこの「合成一号B」の製造で用いられた紡糸法は乾式紡糸法であった。
(3)戦後の技術開発
戦後に、倉敷レイヨンによって工業化が実現されたビニロンであったが、繊維としての特徴は、木綿に近いものであった。そのため木綿やスフなどの繊維と競合になった。
友成が開発した技術において木綿などと競合できるだけの生産コストの削減に寄与したのは付加重合過程での酢酸回収法を採用したことである。これは同社が原料からの一貫した生産に取り組んできた強みを生かしたことにより可能となった。
また、品質向上に寄与したのは部分重合法で、「均一で高重合度のポバール重合技術9」の採用によって原料であるポバールの品質向上、ひいてはビニロンの強度の向上を実現した。さらに友成主導の下、染色性・耐皺性といったビニロンにおいて大きな欠点とされた問題が改善された。これらの戦後の技術改良によって、ビニロンは衣料用途における市場展開に成功した。具体的には、ビニロン・スフの混紡学生服の売り上げが好調を迎えた。また産業用途でも、高強度を実現したビニロンは漁網分野で大きな成功を遂げることができた。