戦後復興期
魚群探知機
発明技術開発の概要
魚群探知機が市場で認知される中、技術的な改良も逐次行われた。1950年には、超音波の記録機の精度を高め、より簡便に扱える利用技術を開発するため、清孝は新型のベルト式記録機構(実公昭26-11467号)を開発し導入した。従来の魚群探知機は、円弧式又はローラーに特殊な溝をつけ、それをペンが往復する直線往復式であった。ベルト式の場合、ベルトにペンを取り付け、一定速度で一定の方向に動かすことによって記録を行う。従来の方式に比べ故障しにくく、コストが安いという利点があった。
海底付近に集まった鯛の魚群の画像(新潟沖1950年代)
画像提供:古野電気
当時の魚群探知機は、日本電気の航路保安器を購入し、それに改造を加えることで製品化されていた。二段の真空管増幅器を三段とし、振動子を樹脂で固め直接船底に装備した。より効率的に魚群探知機を生産するためには、既存品の改造ではなく自社生産を行う必要があった。そのため古野電気は魚群探知機の振動子に係る特許実施権を取得した。魚群探知機の構成部品の要であるNA式磁歪振動子の特許(109289号)は、東北大学の抜山平一教授(以下「抜山」と呼ぶ)、大阪大学の青柳健次教授(以下「青柳」と呼ぶ)が共同で保有していた。1950年の夏、抜山と青柳は特許の利用を快諾した。これにより、古野電気は魚群探知機を自社生産できるようになった。
その後も、魚群探知機の技術開発は継続して実施された。当初、魚群探知機はまき網漁に威力を発揮したが、清孝はこれを底引き網漁でも使えるよう、海底線を白抜き描画して海底付近の魚群を見つけやすくする「ホワイトライン機能」(特公昭31-3583号)を考案し、1956年には底引き網用の魚群探知機が発売された。
1967年にはサーチライトソナーを開発し、従来の下方向ではなく水平方向のより広範囲の探索を可能にした。1970年には、電子的にビームを回転させて、広範囲の映像を瞬時に取得することができるスキャニングソナーを出荷開始した。その後も古野電気は次々と新たな技術開発に取り組み今日に至っている。
魚群探知機の普及を円滑に行うため、古野電気は1952年10月『魚探資料(第一稿) 古野式魚群探知機記録による魚種の判別に就て』を刊行している。この資料には漁船から得た魚探記録から、①魚種の判別、②魚群の生態、③漁具の改良に役立つ記録が集録されていた。このようなソフト面での情報提供と、ハード面としての魚群探知機の普及を同時に行うことで、古野電気は魚群探知機の利用者数を増加させることができた。
なお、1948年の魚群探知機の発明時、清孝は特許を出願していなかった。このことは、魚群探知機市場に多くの競合他社を参入させることにつながった。魚群探知機における自社の先行優位性を確保し続けるため、清孝は1951年以降数多くの特許および実用新案を出願し取得した(表1及び表2)。登録された特許の件数は34件、実用新案の件数は49件であった。
表1. 古野清孝の登録特許 (1952年-1954年公告)
(出所: 古野電気『フルノ60年史 知恵と創造の物語 for the next stage』(古野電気、2008年))
表2. 古野清孝の登録実用新案 (1951年-1954年公告)
(出所: 古野電気『フルノ60年史 知恵と創造の物語 for the next stage』(古野電気、2008年))
(本文中の記載について)
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