高度経済成長期
省エネ化
概要
戦後日本の高度経済成長期、中東諸国から安価な石油が大量に輸入されるようになり、その一次エネルギーに占める比重は年々上昇していた。しかし、1970年代に入ると73年、78年と2回にわたる石油危機が発生し、原油価格は急騰し安定供給そのものも脅かされるようになった。それは深刻な不況をもたらし、エネルギー多消費型の重化学工業を中心とする日本の産業構造の転換と経済活動全般にわたる省エネルギー化(以下「省エネ化」と呼ぶ)が大きな課題となった。
この国民的課題に直面した日本の政府、産業界、国民は世界最高水準の省エネルギー型社会の実現を目指し、様々な活動を展開した。その成果は目覚ましく、第一次石油危機が起きた1973年度から2013年度までの間に日本の実質GDPは2.48倍に増加したが、最終エネルギー消費量は1.21倍の伸びにとどまった。とりわけ産業分野のエネルギー消費がこの間に0.89倍へと減少して(この間の鉱工業生産は1.61倍)、省エネ化の牽引車となった1。
この産業におけるエネルギー消費量の削減は、当初その多くを製造業とりわけ鉄鋼、化学といったエネルギー多消費型の素材産業が担うこととなった。多くの素材産業は深刻な不況の中で、技術、運転の両面から徹底した省エネ化を追求した。また、過剰設備の廃棄を産業単位で実施し、エネルギー原単位が素材産業に比してはるかに低い機械産業を中心とする知識集約型産業構造への移行を加速した。一方、自動車や家電、エアコンといった耐久消費財や住宅、オフィス関連機器などを製造する産業分野では省エネ型製品の開発に向けた激しい競争が展開され、それは、民生部門での省エネ化に寄与するとともに当該製品の国際競争力の強化と産業構造の高度化へとつながった。
80年代、欧米諸国が低成長に苦しむ中で日本経済は安定的な成長を持続し、多くの製品の国際競争力は強化された。石油危機をばねとした日本の製造業の省エネ化への努力は16年後の鉱工業生産指数当たりエネルギー消費原単位(製造業業種別エネルギー消費を製造業業種別生産指数で除した指数)を1974年の半分以下にまで低下させている。その後も、日本の省エネ化の努力は続けられ、2011年現在でも、日本の実質GDP当たりのエネルギー原単位は1.1と世界最高水準を維持している2。また、脱石油への努力によってエネルギー消費に占める石油のウエイトも1973年の77%から2013年には47%にまで低下させている3。