高度経済成長期
電子レンジ
イノベーションに至る経緯
(欧米における電子レンジの発明)
1916年、ゼネラル・エレクトリック社のアルバート・ハル(Albert W. Hull)は、2極マグネトロンを発明した 。マグネトロンはそれが発する電磁波の波長が短く、かつ、直進性を有することから航空レーダー開発の中核技術となり第二次世界大戦において著しい進歩を遂げ、連合国の勝利に貢献した8。この技術開発に従事する研究者の間では、マグネトロンから出る電磁波(マイクロ波)が熱作用をもっていることは知られていたけれども、彼らの目的はあくまで航空レーダーの開発にあり、食品の加熱に利用することまでには至らなかった。
戦後、このマグネトロン開発に貢献したレイセオン社のスペンサーは、1945年ごろ、マイクロ波が食品の加熱に利用できることに気付き、これに着想を得たレイセオン社はその後、最初の電子レンジを製品化、発売した9。しかしながら、この電子レンジは家庭の台所に設置するには巨大で使いにくかったうえに、水冷式で価格も高く普及しなかった。同社は更に何回かの試みの後、自社による開発をあきらめて設備を家電メーカーのアマナ社に売却した。1970年代初頭には、アメリカの電子レンジ市場はこのアマナ社及びリットン社が占め、遅れてタッパン社なども参入した10。
アメリカでの最初の家庭用の電子レンジは、1952年に発売された。1958年にタッパン社で発売した400型レンジは、今日の電子レンジの基本的なデザインを実現している。しかしながら、同社のレンジは1295ドルと当時としてはなお極めて高価だった11。
アメリカで電子レンジが普及しなかったのは、上記のように軍用に開発されたマグネトロンが高価だったこともあるが、欧米では、オーブンの普及が進んでいたことも要因と思われる。パン食が主流の欧米では、19世紀初頭から既にガスオーブンが生まれ、また、1893年のシカゴ万博では世界初の電気オーブンが発表され、1930年代ごろにはほとんどの家庭に普及していたのである12。
これに対して、日本ではオーブンの歴史は浅く、ほとんど普及していなかった。一方、マグネトロンの研究は戦前から日本においてもなされていた。1927年には、東北大の岡部金治郎が分割陽極型マグネトロンの発明に成功するなどの顕著な功績をあげている。戦後GHQによってその生産は一時禁止されたが、解除がなされた1946年、日本無線が多重無線用マグネトロンの開発に着手した。1950年にはレーダー用の輸入が認められ、翌51年には生産も認められるところとなった。1964年に富士山頂に設置された気象レーダーは新日本無線(日本無線とレイセオンの合弁により設立)が製作している。
(日本における電子レンジの開発と普及)
通信あるいは防衛用レーダー向けのマグネトロンと並んで日本の家電メーカー数社は電子レンジの開発にも取り組んでいった。東芝は1956年から電子レンジの研究を始めていたが、1959年、日本初の業務用電子レンジ(DO-2273)を製作した。この国産電子レンジ第1号機は潜水艦内調理加熱用として防衛庁に納入され、更に完成の翌1960年に開かれた大阪国際見本市にも出品されて注目を集めた 。1961年には市販第1号機を発売し、日本における汎用電子レンジのデビューとなった。翌1962年には国鉄の数路線の食堂車にも採用され、1964年の新幹線開通とともにビュッフェでの温かい本格的な料理を提供するという当時としては画期的なサービスをも可能にした。東芝に次いで、1962年、早川電機(現・シャープ)は業務用電子レンジR-10を量産し発売している。R-10は極超短波のマイクロ波を照射して調理することから、火を使わない「夢の調理器」として注目の的となった 。また1963年には松下がNE-100Fを製作し、食堂での利用など主に業務用として量産され、その後の電子レンジの普及の先駆けとなった。翌年4月には国際見本市にも出展し、天皇陛下に拝閲いただいている 。この間、新日本無線は、1963年には小型水冷式のマグネトロンを、そして1964年には空冷のそれを開発し、電子レンジの小型化、高機能化を支えるマグネトロンの技術開発を推進していた。
しかしながら、この時代の電子レンジは、サイズはなお大きくかつ高価であった。例えばNE-100Fの主なスペックは次の通りである。すなわち、価格は115万円、外形寸法は幅630×奥行620×高さ1560mm、オーブン庫内寸法は幅520×奥行520×高さ332mm、高周波出力は1.8kw、200V電源である。このため、ホテル、高級料理店等一部で、業務用加熱調理器として使われるのが一般的であった。
家庭用電子レンジの日本での第1号は、1965年に松下によって製作された(NE-500)。その翌年の1966年には、シャープが、家庭用の電子レンジR-600において世界で初めてターンテーブルを採用した製品を発売した。また、東芝は1968年に家庭用高性能型、翌1969年に改良型を発売したが、これらは、電波もれの危険性を指摘していた当時の米国厚生教育省の指摘をクリアし、その技術力の高さを示すものであった。
折から、冷凍食品や家庭での冷蔵庫の普及、そしてファミリーレストランの展開などによって、電子レンジへの需要は右肩上がりに増大していった(図1)。
日本の電子レンジの技術、デザインの向上は目覚ましく、1968年にはシャープが、電子レンジに関する米国デザイン特許(d216284)を日本で初めて申請し、以後、1970年代以降の電子レンジに関する米国でのデザイン特許は日本からの申請が大部分を占めるようになった。
1969年にはマグネトロンに関するレイセオン社の基本特許の有効期限が切れた。これに伴い、日本では東芝に続き松下電子、日立製作所、新日本電気が独自の電子レンジ用マグネトロンの生産を開始した。1971年には東芝の開発したマグネトロン2M53が、アメリカのリットン社に採用された。その後、アメリカの電子レンジ用マグネトロンメーカーは次第に製造から撤退し、日系メーカーが世界中に供給する状況となっていった13。
(電子レンジの多様化と洗練化)
電子レンジの急速な普及は、家電メーカー間の激しい競争をもたらし、その後の改良改善にも目覚ましい成果が生まれていった。
1970年、東芝は安全を確保するドアロックを開発するとともに、翌年にはワンタッチ方式の縦開きの製品を開発した。1983年、シャープは生ものの微妙な解凍温度調節をセンサーで計測するトースターレンジRE102 を開発し、更に86年には小型のカプセルレンジ、96年には調理手順に即した加熱をモニターできる液晶ナビゲーションレンジを販売した。92年、富士電機は自動販売機に電子レンジを内蔵し冷凍食品を解凍して提供できる電子レンジを開発した。更に日立ホームテックは94年自動式のターンテーブルを開発し、加熱された食品をレンジ内に手を入れずに安全に取り出すことを可能にした。
こうした電子レンジの目覚ましい発展は、それまで調理エネルギーの大半を占めていた都市ガス等の関連産業にも大きな影響を与えるところとなった。1971年、リンナイはガス高速レンジ「コンベック」RC-10 を開発し、従来の10倍の熱伝導による高速加熱を実現した。更に1979年にはオーブンと電子レンジの一体化した機器を開発した。また、家電メーカーである三洋は、1978年には電子レンジとガス高速オーブンを複合し、同時加熱の調整機能を持ったガスコンビネーションレンジGMO-8500を発売している14。
電子レンジの需要は1969年には、38万台に達し、価格面でも1971年に松下が業界初の8万円代のレンジを発売している。
社団法人中央調査社による調査では、日本において電子レンジの保有率の推移は、1971年では、2%しかなかったが、1970~1980年台に順調に普及が進み、1980年に28%、1985年に41%、1990年に70%と大幅な伸びを示し、2000年以降は90%以上、2005年では97%となっている。
レーダーの開発から派生してアメリカで開発された電子レンジは、日本において大きく花開き、台所革命の新たな一ページを記すとともに、国際的な普及をも実現した。