高度経済成長期
クオーツ腕時計
概要
クオーツ腕時計とは、水晶に電圧を加えた際に発生する振動を利用した水晶(クオーツ)振動子を基幹部品とした腕時計である。1969年にセイコーが世界で初めて発売したクオーツ腕時計は、時計産業に発生した非連続なイノベーションであった。第一に、従来の機械式腕時計よりも部品点数が少なく、生産工程の自動化により適していた。機械式腕時計が100個以上の部品からなるのに対して、クオーツ腕時計(アナログ)の部品点数は50個から80個程度であり、後に開発されたデジタル表示式のクオーツ腕時計ではそれが40個程度にまで減少した(表1)。部品加工の工程数も少なくなり、作りやすいものとなった(表2)。このイノベーションにより腕時計産業は、熟練職人による手工業から大量生産システムへと移行し、時計の価格は多くの人が手に入れることができるほど安価になり、高級品であった時計は、誰もが持つことのできる日常品へと変貌したのである。
表1 機械式腕時計とクオーツ腕時計の部品点数
(出典)新宅純二郞『日本企業の競争戦略』(有斐閣、1994年)99頁。
表2 機械式腕時計とクオーツ腕時計の基板加工工程数の対比
(出典)熊川澄雄「機械式からクオーツへ」日本機械学会誌100巻941号(1997年)25頁。
クオーツ腕時計は消費者の利便性も向上させた。なによりもまず、機械式腕時計よりも正確に時を刻むことができた。1960年代の機械式腕時計は技術的に成熟しつつあったものの、それでもなお1日の計測誤差が上位機種でも10秒から30秒ほどあった。これに対して、クオーツ腕時計の誤差は0.2秒から0.5秒程度であった。また、機械式腕時計は衝撃によって壊れやすかったり、定期的なメンテナンスが必要であったりという欠点があったが、クオーツ腕時計はより扱いやすいものであった。画期的新技術であるクオーツ腕時計の誕生は、こうして、時計産業を一変させるイノベーションとなった。
日本国内の腕時計の生産量の推移を確認すると、クオーツの量産が始まった1972年頃には年間生産量が2400万個であったのに対して、1981年には約1億個、1986年には約2億個と急拡大を遂げた(後掲図1)。国内のみならず、世界の時計産業の様相も大きく変化した。日本でも米国でもエレクトロニクス・メーカーがデジタル表示式クオーツ腕時計の製造に参入した。香港や中国では、日本などからムーブメントを輸入し、安価な労働力を活用した時計組立て産業が興った。世界生産に関する統計は存在しないが、日本時計協会による推計では毎年10億個を超える腕時計が生産されている。
このようにクオーツ化した腕時計のマーケットが拡大することによって、要素技術も進歩した。CMOS-ICや液晶ディスプレイ等の要素技術にとって、クオーツ腕時計は初期の主要な用途先であり、腕時計の生産拡大に伴ってそれら要素技術の蓄積が進められてきた。これらの要素技術は電卓等にも応用され、その後の日本エレクトロニクス産業の基盤技術の一つとなった。