高度経済成長期
小型(軽)自動車
概要
高度成長期の始まった1950年代後半、「電気洗濯機・モノクロテレビ・電気冷蔵庫」は三種の神器と呼ばれて庶民の憧れの的であった。しかし、テレビに映る米国人は、庶民でも自動車を乗り回していた。政府は、自動車産業の育成の一環として極めて小型の自動車の規格として軽自動車の規格を作成し、それは1949年7月8日の車両規則の一部改正(運輸省令第36号)において明文化された。さらに1955年には、通商産業省(当時)において小型の国民車構想が検討され、それがマスコミの報じるところとなって大きな反響を呼ぶまでになった。
そのような中、1955年には鈴木自動車工業(現 スズキ、以下「スズキ」と呼ぶ)の「スズライトSS」(発売当時42万円)、1958年には富士重工業の「スバル360」(発売当時42.5万円)が相次いで発売され、軽自動車規格内での4名乗車や低価格化の実現可能性を示すところとなった。
中でも「スバル360」は、旧中島飛行機の流れを引き継いだ富士重工業が、航空機の設計思想なども大いに導入した製品で、当時、庶民のマイカーたるべきミニマムパッケージを高い完成度で実現し、その愛嬌のある外観(てんとう虫と愛称された)と相まって大きな注目を集めたクルマであった。「スバル360」の発売に前後するように、各社の軽四輪乗用車開発も活発化し、競合車種となる東洋工業(現 マツダ、以下「マツダ」と呼ぶ)「R360クーペ」、本田技研工業(以下「ホンダ」と呼ぶ)「N360」、新三菱重工業(自動車部門は現 三菱自動車、以下「三菱」と呼ぶ)「三菱ミニカ」、スズキ「スズライトフロンテTLA」などが次々とリリースされ、以降、自動車メーカー各社によるイノベーションと熾烈な市場競争が続き現在に至っている。
「スバル360」等の発売後、日本経済は岩戸景気、いざなぎ景気を迎え、庶民の夢は新たな三種の神器「カラーテレビ・クーラー・自動車」の保有へと移っていった。こうした本格的なモータリゼーションへの移行時期における軽自動車、中でも軽四輪乗用車が果たした役割は大きい。例えば1955年当時は、トヨタ自動車の「トヨペット クラウンRS」が小型車であるにもかかわらず98万円するなど、まだ自動車は高級品であり、庶民が乗用車を所有することは夢でしかなかった。優れた軽四輪乗用車の登場は、庶民が「マイカーとして車を所有する」という新しいライフスタイルを世に提案することとなり、その実現に重要な役割を担った。
また、小型のクルマ作りの手法は新興国におけるクルマ作りへと生かされてきた。例えばスズキは、1970~1980年代に、インドネシア、パキスタン、インドなどの世界各国で小型四輪自動車の現地生産を進めた。特にインド市場において6割を超える大きなシェアを獲得したことは良く知られている。
さらには、近年自動車市場で重要視されている燃費性能においては、2011年にダイハツ工業(以下「ダイハツ」と呼ぶ)のガソリン車「ミラ イース」がハイブリッド車並みの燃費30km/ℓを達成するなど、日本の軽自動車のクルマ作りが日本へ、世界へ新しい価値を送り出している。
スバル360
画像提供:富士重工業