公益社団法人発明協会

高度経済成長期

リンゴ「ふじ」

発明技術開発の概要

 育種(品種改良)は品種を人間の望む性質に改良するもので、「生物の遺伝的性質を改良する技術」である24

 東北支場における育種は、1939年から3年にわたって行われた交配により始められた。当時、支場内に栽培されていたのは「国光」「紅玉」「旭」に限られていたため、花粉の採取は近くの青森県青森県苹果試験場(現 青森県産業技術センターりんご研究所)の品種保存園等で行われた。3年にわたる交配で用いた親品種の数は20品種で、組合せ数64、獲得実生数は1万3775個体であった。これらの交配実生の一部は、仮植、定植後の旱害などにより淘汰され、結局選抜の対象となった実生の数は4656個体であった25

 戦争が終了し、職員が支場に復帰するとともに、育種も再開された。実生のうち643個体が圃場に定植され、1947年には太平洋戦争を耐えた実生596個体に初めてリンゴが実った。この600足らずの個体が最終選抜の対象となった。

 「選抜」は、実生の中から果実の形や色、味など優秀なものを選抜し、さらに栽培方法の簡易さ、病害虫への抵抗力、貯蔵性などの面から調査することにより行われた。1951年に初結実した個体番号「ロ-628」((ロ)は国光とデリシャスの組合せを示す略号)が「有望個体」と選抜された。「ロ-628」は東北7号として発表された後、性能公設試験場や精農家による試作が行われた。

 東北7号は、早い時期から、味は優れているが色付きが悪く、味にばらつきがあると認識されていた26。園芸部長の森英男から「東北7号」の性能を引き出すために試作を依頼された斉藤昌美は、穂木を穂つぎと芽つぎを応用して増殖を図ることとし、1960年に紅玉に高つぎしたものが初結果した。また、色付きを良くするため有袋栽培を採用するとともに、枝がわりの多い品種であるという特徴から着色の良い系統を探すことも指導した27。このような対応の結果、市場で受け入れられる色付きの良い「ふじ」が誕生した。

 「ふじ」は日本で誕生した初めての世界品種となっただけでなく、「ふじ」を親とする新しい新品種を世界各地で誕生させるものとなった。

 

 (本文中の記載について)

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