高度経済成長期
LNGの導入
概要
液化天然ガス(Liquefied Natural Gas、以下「LNG」と呼ぶ)は気体の天然ガスをマイナス162℃に冷却・液化し、体積を600分の1まで凝縮したものである。天然ガスは、硫黄分や一酸化炭素といった公害物質の含有が少なく、かつ、高カロリーであることから都市ガス燃料源として古くから注目されていた。しかし、それを液化したLNGは、その取扱い上の困難性や海上輸送の安全性が確保されなかったことから、1950年代においてもなお石油や石炭のような国際取引商品として扱われることは極めて少なかった。まして1950年代後半までの日本では、国内の石炭産業を保護するために、電力事業や都市ガス事業では、国内炭の使用が義務付けられる状況であった。
一方、この1950年代後半は日本が高度経済成長に入った時代でもあった。日本の大都会では人口が急増し、とりわけ東京ではその住宅地も郊外へと急速に展開していた。都市ガス需要が量的、地理的に急速に増加、拡大していくことが確実な情勢にあって、石炭に代わる都市ガス原料の確保、輸送導管の遠距離化など新たな対応がガス業界に求められるようになっていた1。
この課題に果敢に取り組み、世界初の発電とガス事業へのLNGの共同供給システムを構築したのは、1950年代後半から導入につき検討を重ねてきた東京ガス (以下「東京ガス」と呼ぶ)と、その導入に向けた方針に賛同し、共同事業とすることに同意した東京電力 (以下「東京電力」と呼ぶ)の2社であった。両社の取組により1969年11月アラスカから日本へのLNG輸入が初めて実現した。
東京ガスが、LNGの導入検討を開始してから輸入を実現するまでには12年、東京電力が最初のLNGを燃料とした発電を行うには更に一年の期間が必要であった。この間、石油より高いLNGのコストダウンに向けた米国企業との交渉と、発電とガス供給施設を並置した世界初のLNG基地建設を実現するための技術的な課題解決が続けられた。
このプロジェクトは、公害問題にも大きな影響を与えた。重油等による火力発電の大気汚染問題によって各地で行き詰まっていた発電所の立地問題に新たな展望を切り開いたのである。世界初のLNG発電の成功は、他の電力会社、ガス事業者にも大きなインパクトを与え、1973年にはブルネイの天然ガスが、上記2社に加え大阪ガス、関西電力境港発電所と新日本製鐵堺製鉄所に対しても供給されることになった2。以後、各地にLNG基地は建設され、日本は世界最大のLNG輸入国として世界のLNG取引の中心的な地位に立つこととなった。現在でも(2012年度)日本は世界最大の輸入国であり、8カ国から長期計画による輸入を行っている。そして、LNGはスポット市場も成立するほどの国際商品になった。特に急成長する韓国や中国で導入が進み、いまやアジアのみならず世界的規模での導入が進んでいる。さらに、シェールガス革命と言われる天然ガスの開発によってLNGの国際取引は現在また新たな脚光を浴びている。そのようなLNGの国際取引化の一歩を記した大きなプロジェクトとして、この世界初のLNG発電・ガス供給は位置付けられよう。
日本へ初めてLNGを輸送した「ポーラアラスカ号」
画像提供:東京ガス