高度経済成長期
LNGの導入
イノベーションに至る経緯
(1)東京ガスの決断
東京ガスが、LNGの導入を本格的に検討し始めたのは1957年である3。当時の日本の一次エネルギー源の約50%は、なお石炭であった。国内炭保護の観点から、ガス会社にも国内炭の使用が求められていた。一方、既に戦後復興から高度経済成長時代へと移行していた1950年代後半の日本では、エネルギー需要は実質国民総支出の成長率を上回る速さで増大しつつあった4。
この変化に対応するには、国内炭の生産量では限界が見えた。戦後新たに中東で開発された石油が、世界そして日本でもエネルギー源の中心に移行しつつあった。ガス事業者にとっても、原油から作られるナフサ、ブタンなどをガス原料にする方途もあり、現に製造されていたが、東京ガスは石油と並んで海外の豊富な天然ガスの将来性に注目していた。しかし、LNGの輸送や商業ベースでの冷凍化技術が確立されておらず、本格的な検討にまでは至らなかった。海外でも、当時「メタン・パイオニア号」というタンカーによって、南米のヴェネズエラから天然ガスを海上輸送する試みが英国によってなされたが、その成否に関する報道はまちまちであった5。
1957年、米国の石油生産会社オハイオ・オイル社とユニオン・オイル社から東京ガスに対してLNG受け入れの打診がなされた。これがきっかけとなって翌1958年、当時の東京ガス副社長安西浩が、英国とフランスのLNG使用の実態を調査するために外遊した。この調査において安西は、両国における海上輸送実験や貯蔵実験の現状に関する情報を入手し、LNG実用化に向けた自信を深めていった。なお、同年、英国ではキャンベイ島でアルジェリア産の天然ガスを使った都市ガス供給が始まっていた。
こうした調査等の成果を基に東京ガスは本格的にLNGの導入に向けた検討に着手した。1959年には、先の「メタン・パイオニア号」が、米国ルイジアナ州から英国キャンベイ島へのLNG海上輸送に成功した6。
1960年10月、東京ガスはLNG導入を最終決定した。利点として挙げられたのは、現有埋蔵量の大きさ、未開発埋蔵量への期待、供給の安定性、公害対策上の優位性、そして高カロリーによる追加投資(導管拡充)の少なさといった点であった。
この決定に対して、まず前記米国の2社から供給の申出がなされた。次いで米国の多くの地域の天然ガス生産会社からもLNG供給の提案がなされるに至った。東京ガスは選定の基準を、①LNGタンカーは安定供給の観点から2隻体制とすること、②輸送単価が低い輸送距離の短いプロジェクトとすることの二点に置いた。そして、マラソン・オイル社とフィリップス・ペトローリアム社の提案を組み合わせ、両社のジョイントベンチャーによる「アラスカLNGプロジェクト」からの購入が最適であると判断した7。
しかし、調印に至るには価格、コストの壁が立ちはだかっていた。LNG単価は、当時石油の3割高であった。さらに、輸出側にも受入側にも膨大な設備投資8が必要であり、運用効率を上げなければコスト低減は不可能であった。東京ガスの輸入予定量では輸入先との価格交渉においても、また、巨額投資のスケールメリットを実現させる上でも限界があった。受入側にLNGを共有するパートナーが必要であった。1965年7月、東京ガスは東京電力の木川田一隆社長(当時)に、共同でアラスカ産のLNGの導入を行うことを提案した。
(2)東京電力の決断
当時、東京電力は増大する電力需要を賄うために、相次いで設備の増強をする必要に迫られていた。その東京電力が重油専焼火力発電所の建設を予定していた土地が横浜市にあった。それは東京ガスが新設ガス工場を予定していた根岸工場の隣接地となっていた。一方、急速に深刻化する大気汚染問題のために重油火力発電所立地に対する地元横浜市民の反発は強く、当時の横浜市はこの発電所建設に対して使用燃料の変更を求めていた。木川田社長は、東京ガスの提案が時代の要請に即していると考え、社内での導入検討を命じた。しかし、役員の大多数は反対であった。主たる理由は、LNGの発電はいまだ世界で例がなく初めてであったこと、LNGの価格が重油に比して割高なこと、そして安全対策(運用計画)上の懸念であった。貴重な化学原料である天然ガスを直接発電に使うことは国際的にもNOBLE USE(貴重な資源をその資源でなければできない用途に振り向けること)に反するとの批判があった。
木川田社長は、公害問題が発電所立地にとって決定的な影響を持つことを訴え、時間をかけて社内を説得した。最終的には「これは私の責任でやる」と言って決定した9。
東京ガスの提案からほぼ一年経った1966年6月、東京電力は東京ガスの提案に賛意を表明し共同購入者となることを承諾した。東京ガスの受入量の3倍に及ぶ量の導入であった。これを受け、当時の飛鳥田一雄横浜市長は発電所の立地を了承した。そして、1967年3月アラスカ産LNGの売買契約が日米関係者の間で交わされるところとなった。契約期間は1969年から15年間、引取り数量は年間96万トン(東京ガスが24万トン、東京電力が72万トン)、LNG船の航海数は年に32航海等が主たる内容となっている10。
(3)LNG基地の建設
根岸LNG基地
画像提供:東京ガス
根岸基地の建設にあたって東京ガス及び東京電力が特に注力した点は、いかにして両者の連携によるLNG使用を最大限効率化し、かつその安全性を確保するかであった。そのためには、導入に向けて長く検討を重ねてきた東京ガスがLNGの受入れから気化までを一括管理する体制の下に最も合理的な運用を行うこととした。安全性の確保については東京ガスの総合研究所において微量成分の分析を徹底し、ガスの特性を把握した。また、当時としては世界最大のLNG基地となることから安全性を考慮し、大型超低温タンク(1万kℓの地下タンク)の建設を行った。これは、この型の世界最初の実用プラントで、金属二重殻式を採用し、内槽材料には低温において強度と靭性を有する9%Ni鋼を、外槽材料には常温で使用されるSS41を使用した。この種類の金属の溶接は当時珍しく、磁気の排除などの課題に加えて規模の大きさから多数の優れた溶接工を必要とした。9%Ni鋼の溶接には延べ2万5000人、アルミ溶接工は延べ1万9000人を要している11。
電力とガス会社における負荷変動の相違や定期修理期間におけるガス供給の調整、そしてLNG船の荷揚げ時間等(15時間以内)の運用上の課題については、両社間での様々な調整を行い、設備、運用両面からのシミュレーションと実験を繰り返して改善策を積み上げていった。
効率性確保の観点で特筆されるのは、LNGの気化に必要な大量の海水(1時間当たり1万ℓ)を東京電力が基地に送り、他方、気化で冷却された海水を発電用冷却用水として送り返す仕組みが構築されたことである。これは両社共同事業ならではの成果であった。
一方、東京電力が直面した技術上の課題としては、発電用と都市ガス用のガスの送出圧力の違い等から生じる圧縮機の運転上の安全性、経済性の確保があった。東京ガスの送出圧力は20Kg/㎠、東京電力のそれは8.5㎏/㎠であった。ガス会社ではこのような低圧気化の扱いは未経験であったため数度のトラブルを起こしたが、東京電力による発電所への伝熱管の形状変更によって解決した。このような経験が、我が国LNG発電技術開発史の端緒となった12。
横浜に最初のLNGを運搬したLNG船は、スウェーデンのコクムス造船所で建造された。東京電力、東京ガスはいずれもその進捗状況の把握に意を払い、特にその低温貯槽の溶接部については、安全性を優先した品質確保に留意した。建造費は一隻95億円であり、当時74億円といわれた32万トンタンカーと比較すると、積荷トン当たりの建造コストは14倍にもなった13。
(4)LNGの普及
1969年11月4日、アラスカからLNGを積載したLNG専用タンカー「ポーラアラスカ号」が根岸の東京ガス工場専用埠頭に横付けされた。これが我が国にLNGが輸入された第一号となった。大気汚染を伴わないLNGの導入は、大都市の電力、ガス関連企業等に大きな影響を与えた。1972年には大阪ガスの泉北工場にブルネイからのLNG船が入港した。その前年に東京ガスは、千葉県袖ケ浦で新たなLNG基地の建設に着手しており、それは1973年にLNG専用工場として稼働することとなる。1977年9月には愛知県知多に建設された知多LNG共同基地にインドネシアからのLNG船が着岸し、中部地域への供給が開始された。以後も次々と各地にLNG基地は建設され、2013年1月現在で、その基地数は北海道から九州まで全国で31カ所に及んでいる。そして、いまやLNGは地域の中をタンクローリーで運搬され、地域のガス会社から広く一般家庭にまで供給されるようになっている。
LNG輸入の増大に応じて、日本の造船業のLNG船建造も活発になった。1981年に川崎重工業が我が国初の大型LNG輸送船「Golar Spirit」を建造、翌々年には三菱重工業が二隻の輸送船(播州丸、越後丸)を建造した。2006年における世界のLNG船就航隻数は196隻であったが、そのうち63隻が日本の造船業の手になるものであり、世界一のシェアを占めていた。
こうして日本は世界のLNG輸入の最大国となり、その輸入先も多角化した。米国、ブルネイ、インドネシアからアブダビ、マレーシア、オーストラリア、カタールと拡大し、長期契約による輸入元は現在8カ国に及んでいる。輸入量は2012年度で8731万トンとアラスカから初めて輸入した時の契約量の90倍以上に達している。
日本の活発なLNG輸入は、輸出入両面から多くの国の参入をもたらした。特に、韓国や中国でのLNGの輸入が活発になり、2011年度には、日本を含む3カ国の輸入量が世界の50%以上を占めている(世界の輸入量の32%は日本が占めており、なお世界一の輸入国である)14。欧州諸国の輸入も多角化し、英国、フランスのみならず、スペイン、イタリア、ベルギーなどでも輸入されている。一方、輸出国の多角化は更に進んでおり、アジア、中東、アフリカ、南米と地球的規模で広がっている。さらに近年は、米国におけるシェールガスが開発されたことにより、LNGの国際取引に新たな展開が期待されるようにもなっている。
LNGはいまや石油に追随する国際商品になった。世界の一次エネルギーの大半は1960年代から70年代にかけて石炭から石油に代わり、2回にわたる石油危機を経て70年代からは急速に天然ガスがウエイトを増しつつある。これは石油に比べて硫黄酸化物や一酸化炭素といった有害物質を含まない性質や、供給元が多様で安定性が高いといった要因に加えて、石油危機などに際しても長期契約によって供給の安定性が維持されたことにより、その評価を一層高めたという点もあると思われる。さらに、航空機エンジン技術の進歩は、ガスタービン発電設備と汽力発電設備を組み合わせたコンバインドサイクル発電(複合発電システム:Combined Cycle System)を生み、これが発電の効率を大幅に上昇させるところとなった。この画期的な省エネ型の燃焼技術は、天然ガス利用の将来性を一層認識させるところとなっている。
日本の東京ガスと東京電力が実現した世界初のLNG発電とガス供給の共同利用システムは、世界の燃料需要を先取りしたという点で大きなパイオニア的役割を果たしたと言えよう。
図1 日本・米国・欧州における用途別天然ガス利用状況(2010年)
IEA, Energy Balances of OECD Countries 2011 をもとに作成
出典:資源エネルギー庁「エネルギー白書2013」
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