公益社団法人発明協会

現代まで

DVD

イノベーションに至る経緯

(1)高密度光ディスクの開発

 光ディスクは1960年代半ばに米国の物理学者家ジェームズ・ラッセルにより発明され、1970年に米国SRI社により透過型ビデオディスクが発表され、1972年にはオランダのフィリップス社によりビデオディスク4が発表された。ビデオディスクは、映像信号の記録再生にアナログ信号を用いるものであったが、発表直後から各国で注目されるものとなり、我が国でもパイオニアがレーザディスク(LD)として発売し、ホームシアターや業務用カラオケシステムとして、発売5年目までに2000万枚のディスクが生産された5

 1990年代に入ると、通信、放送、蓄積の3分野に共通して使え、娯楽映画やHDTV(高精細テレビ)にも適用可能な高品質の符号化標準方式MPEG2が現実的なものとなった。MPEGは国際的な画像情報圧縮を検討した団体の名称“Motion Picture Expert Group”に由来するもので、MPEG2は「動画像では隣接する前後の画像は、大きく変化しない」という特性を生かし、変化分だけを検出することにより情報量を画期的に小さくする方式である6。このような動きを受けて、国内外の電機メーカーは動画像を記録する高品質光ディスクの開発に取り組むことになる。

 東芝は映像情報については、コンテンツプロバイダーとなる映画製作会社の協力を得ることが不可欠と考え、米国タイム・ワーナーとタスクフォースを編成し、標準規格の提唱可能性を含む検討を開始した7。タイム・ワーナーは、新しい光ディスクは、「レーザーディスク(LD)以上の画質で、劇場用のサラウンド機能を備え、CDと同じサイズで、ディスク片面で130分以上の再生時間を確保できる」ことが必要であるとの見解を明らかにした。これを実際に計算すると、MPEG2の平均圧縮レート3.5Mbpsに3言語分のドルビーAC3サラウンド及びサブタイトルをいれた約4.7Mbpsのデータ転送レートで130分を確保するには、約4.7GBの記憶容量が必要となる8。しかしながら、当時の技術では、1.2㎜厚のCDでは3GBを大きく超える記録容量を実現することは不可能だと考えられていた。

 東芝では高速APC(AUTO POWER CONTROL)、赤色LD光ヘッド、0.6mm基板、NA 0.6対物レンズ等の技術を用いて、初めてオーバライトのできる相変化ディスクの高密度化を実証し、この技術をベースに後のDVDの基本となる高密度化のコンセプトを考えていた9。パナソニックでは1990年に「PC-NEXT」活動をスタートさせ、この中でDVDの実現につながる新しい技術が誕生していた。また、東芝では0.6㎜基板が1.2㎜基板のCDに比べディスクの傾きによって生じる光スポットの歪みが半分に抑えられることに着目し、これにより大容量化することをめざした。さらに、その強度を高めるために2枚の基板を貼り合わせれば、CDと同じ厚さとなり、互換性を持たせることも可能であると考えた。このアイデアは、当時、製造技術が実現されていなかったことから困難が予想されたが、プロセスの最適化やホットメルトやUV接着を行うことなどにより解決できるものとなった10。パナソニックの技術開発状況の情報を得た東芝は、早速パナソニックに映像ディスクの共同開発を申し入れ、1991年に両社による共同開発がスタートした11

 1994年になると、日本ビクター、三洋電機、パイオニア、ソニー等からも次々と高密度光ディスクの試作品が発表された。

(2)DVD規格の誕生

 1994年12月、ソニー・フィリップスはディスク片面容量が3.7GBの「マルチメディアCD」(MMCD)を発表した。MMCD規格の発表を受けて、その翌月、東芝、パナソニックなど7社も、新たに開発した容量5.0GBの「SD」(Super Density Disc)を発表した。

 容量で劣勢にあったMMCD陣営は、記録容量を7.4GBの二層構造ディスクが量産可能であることを確認したと1995年2月に発表した。一方、CDとの互換性という課題を抱えていたSDグループでは、同じ年の4月にパナソニックによりDVD/CD互換ピックアップ技術が開発され、DVDとCDとをひとつの光ピックアップで再生することが可能となった。

 両グループは、光ディスク機器メーカーだけでなく国内外の幅広い企業にその支持を求めた。IBM、アップル・コンピュータ (現 アップル)、コンパック、ヒューレット・パッカード、マイクロソフトは、「テクニカル・ワーキンググループ」を結成し、規格の統一とコンピュータ補助記憶媒体として利用するための技術条件を含む声明を発表した。この年の8月までにSD陣営の賛同企業は28社、MMCD陣営は19社12に拡大していた。

 ハリウッドやシリコンバレーの企業の多くは、光ディスクと競合する映像のネット配信の進められていることや、HDDの高容量化も遠くない時期に到来することが予測されていたことから、この問題の早期解決を求めた。この調整の中心となったのはIBM本社のLou Gerstnerであった。

 両陣営の間での協議が行われ、1995年9月15日に、SDグループ8社とMMCDグループ2社、計10社が規格統一で基本合意に達し、SD規格からディスクの貼り合わせ構造とエラーコレクション方式を、MMCD規格からサーボトラッキング方式と信号変調方式を採用し、ベストな技術を組み合わせた新規格DVDが誕生した。

 同じ年の12月にDVDコンソーシアム(DVD Consortium)が発足し、DVD-Video及びDVD-ROMの規格が承認された。

(3)DVDの普及

 規格が発表された翌年から、東芝、パナソニックをはじめとして各社からDVDプレイヤーが発売された。しかしながら、市場の反応は芳しいものではなかった13。その理由のひとつに発売までに十分なコンテンツを用意できなかったこともあった。最初のDVDプレイヤーが発売された1996年11月までに市場に供給したコンテンツは、わずか20タイトルであった14。この状況を打開するため、規格をリードした企業を中心に積極的普及活動が開始された。東芝はレンタルビデオチェーン店「TSUTAYA」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブなどと、共同でDVDを用いたデジタル事業を展開することを合意し、1997年12月からサービスが開始された。このサービスにあたって、東芝はDVDプレイヤーを持たない利用者のために自社のポータブル型プレイヤーの貸し出すサービスも提供した15。コンテンツの面でも「新世紀エヴァンゲリオン」などのアニメ・ソフトや「イレイザー」などの映画ソフト、音楽ビデオソフトなどが少しずつ増加していた16

 米国では、低価格のセルビデオが受け入れられ、サラウンドサウンドを活かしたホームシアターというコンセプトと相まって、DVDプレイヤーが普及価格帯に入ると急激にハードとソフトの市場が拡大し、世界市場を牽引した。

 ハードメーカも新たな取組を開始した。1997年には初めてDVD搭載のカーナビ「DVDナビゲーション」が発売された。特にDVD市場に衝撃を与えたのは、当時激しい競争を続けていた家庭用ゲーム機であった。ソニー・コンピュータエンタテインメントが2000年3月に発売したPS2は、DVDビデオ再生機能を搭載し、それまでのCD-ROMとは比較にならない高速で大容量の利用を可能とした。特にその価格がそれまでの一般的DVDビデオプレーヤーよりも低いものであったため、DVDビデオプレーヤーの代わりにゲーム機を購入するものも現われたと言われた。PS2は発売前から人気商品となり、2011年までの11年間で、全世界累計売上台数が1億5000万台以上に達した17。その後も、PS3やブルーレイの時代になってもDVDの再生機能は搭載され続けており、ディスク等商品の基本機能として定着している。

 DVDドライブの普及は、映像メディアにも新たな需要をもたらした。PS2が発売された2000年直後からのDVD用映像ソフト販売額は急増し、瞬く間にそれまでの映像ソフトの主流であったビデオカセットテープを凌駕した。(図1「DVD映像ソフト販売額推移」参照)

 また、PC用DVDドライブは、記録型を中心に、薄型ノートPCが登場するまでのノートPCとデスクトップPCの標準搭載ドライブとなり、DVDプレーヤー、PS2と合わせて、DVDの3大市場を形成した。

図1 映像ソフト販売額推移

図1 映像ソフト販売額推移

出典:日本映像ソフト協会「ビデオソフトの市場別、ジャンル別の売上金額の推移等」のデータより作成(http://jva-net.or.jp/report/genre_sales.pdf)(2015年7月31日アクセス)

(4)DVDによる経済効果

 1999年に最初のDVDレコーダがパイオニアから発売されると、その後各社から次々とレコーダが販売されるようになった。dvdレコーダはかつてのレーザーディスクの最大の弱点といわれた記録機能の不備を解決したものであり、記録機能の不備は画質や音質で勝るDVDがビデオカセットを凌駕するための最後のハードルであった。書き込みのできるDVDの登場は、DVDの大容量記録媒体としての優位性を確固なものとした。特に、様々な規格が併存するDVD、CDに対応できるDVDドライブの登場は、パーソナルコンピュータに標準搭載されるものともなり、パソコンの補助記憶装置としての地位を固めた。

 2006年の日系企業による記録型DVDドライブ売上高は4433億円となった18。また、総務省の調査によるとDVDレコーダーの日本企業の世界シェアは高い水準を維持しており、66.3%とされている19。(図2.「DVDレコーダーの世界市場シェア」参照)

 1995年に誕生したDVDコンソーシアムに、参加企業により2つのパテントプール(複数の会社のパテントを共同で特許ライセンスする仕組みで、ソニーを中心とする3企業グループ及び東芝を中心とする6企業ブループ)が設置され、ライセンス活動を開始した。東芝、パナソニック、日立製作所、IBM等が参加するグループでは、DVD-Video、DVD-ROMに関する239件の特許ファミリー20を管理したが、その85%にあたる202件は日本企業の所有する特許であった21。このグループは全世界に約300社のライセンシーを有し、その年間ロイヤルティーは10億ドルを超えるとも言われている22

 DVDコンソーシアムを引き継いで、1997年にDVDフォーラムが誕生した。現在このフォーラムには200社を超える企業等が参加しており、その約3割を日本の企業が占めている。また、日本企業の知的財産権が数多くその標準技術として採用されている。

 DVDは知的財産ビジネスとしても戦後日本を代表するイノベーションのひとつとなった。

図2 DVDレコーダーの世界市場シェア

図2 DVDレコーダーの世界市場シェア

出典:総務省「平成21年版ICT国際競争力指標の公表」(2009年6月17日)をもとに作成


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