公益社団法人発明協会

安定成長期

薄型テレビ

イノベーションに至る経緯

 今日の薄型テレビ5があるのは、1980年代から日本で本格化した激しい液晶テレビ開発競争そしてプラズマテレビとの機能競争の結果である。なお、液晶ディスプレイについては、別途この「戦後日本のイノベーション100選」に選定されており、そちらを併せ参照されたい。

(1)液晶テレビの開発

 日本で最初の液晶テレビが開発されたのは1978年6のシャープによるモノクロ5.5インチのテレビであった。しかし、カラーテレビが普及する中では限られた需要しか見込めなかった。

カラーの液晶テレビが世界で最初に開発され商品化されたのは、1984年に発売された諏訪精工舎(現 セイコーエプソン、以下セイコーエプソンと呼ぶ)による2インチの小型テレビ「ET-10」である。「テレビアン」の愛称をつけられたこのポケットサイズのテレビは「いつでもどこでもテレビアン」のキャッチフレーズとともに人気を博し、以後多くの企業がこの分野に参入するところとなった。

 セイコーエプソンに次いでカラー液晶テレビを商品化したのは松下電器産業(現 パナソニック、以下松下と呼ぶ)で、1986年のディスプレイの国際会議であるSID(The Society for Information Display)で発表され、同年末に販売も開始されたものであった。画面サイズは3インチで、このテレビも、先のET-10と同じくTFT(Thin Film Transistor)を使用したものであった。そして、色の3原色に対応した液晶の層厚を色ごとに変化させ、それを重ねた(マルチギャップ方式)ディスプレイを使用し、液晶の表示モードとしては、ノーマリーブラックという設定方式を採用していた。液晶の表示モードにはこのほかにノーマリーホワイトがあり、前者はコスト面で優れていたが、画像の鮮明さでは後者に劣り、一方、後者はコスト面で前者に及ばなかった。

 この1986年の国際学会SIDには、シャープもノーマリーブラック方式の試作品を発表すべく準備をしていた。しかし、その方針を聞いた当時の社長・辻晴雄は、「店頭で二つ並んでいたら君たちはどっちを買う? 良い見え方のモノしか買わないだろう」と述べて、ノーマリーホワイトを採用すべきとの方針を示し7、以後シャープはこの路線を採用するところとなった。

 ノーマリーホワイト設定のシャープの試作品はその年1986年のエレクトロニクスショーなどで好評を博したが、生産体制の確立は容易に進まず、商品化の面からは松下の後塵を拝することとなった。生産技術の面で大きな課題となったのは画面に残るシミやムラの除去や「焼き付き」(長時間同じ画面のまま放置すると次の画面に移ろうとしてもその画面が残存してしまう)といった現象への対処であった。抜本的な画面制作における洗浄方式の改善や、焼き付きの原因となった配向膜の改良を実現し、1987年5月、3インチのカラー液晶テレビ「クリスタルトロン」の発売を実現した。

 液晶テレビ制作者の次の目標は、家庭内テレビの大きさにいかにして近づけるかとなった。1986年に、松下は12.5型のカラー液晶パネルを試作発表した。更に翌1987年には、セイコーエプソンが14型のディスプレイを発表した。

 クリスタルトロンを発売したシャープでも、ブラウン管テレビ並みの14型の液晶テレビの開発を進めていた。大型化はまた生産性を向上させるうえでも大きな課題となっていた。このため、液晶パネルの大きさを拡大する一方で、冗長設計という一つの画素につけるトランジスタの数を複数にし一つが壊れても他が補う配線を考案した。1988年5月、カラーVGA仕様(IBMが確立した国際的な色表示の標準)の14型TFT液晶ディスプレイがテレビ用として完成した。シャープ経営陣は直ちにその商品化を公表した。この製品は、サイズに加え画像の質も優れ、マスコミを含めて大きな反響を呼んだ。

 2014年、アメリカ電気電子学会(IEEE)は、このシャープの「テレビ用14インチTFT液晶ディスプレイ」をブラウン管テレビに匹敵する画面サイズとフルカラーの高画質表示を可能としたとしてマイルストーンに認定している。

(2)薄型テレビの機能の拡大

 1980年代は、家庭用ビデオが普及し、1983年には任天堂のファミリーコンピュータが開発されるなど、テレビはそれまでの放送電波の受信体から多様な機能を持ったシステム家電としての性格も加わるようになっていった。また、放送分野においても技術の急速な進展がみられた時代である。既に1978年には、音声多重放送が開始されていたが、1983年には文字多重放送試験放送が、1984年には衛星放送、そして1989年にはハイビジョン試験放送が実施された。1990年代に入ると地上デジタル放送への移行が公的な場でも論じられるようになり、1998年政府の地上デジタル懇談会が2003年からの実施を答申し、具体化するところとなった。情報化の流れは、テレビにも多様で膨大な情報の処理を求めるところとなり、それを鮮明にかつ迅速に表示できる画面の拡大が大きな流れとなった。シャープの14型カラー液晶テレビの登場は、その延長線上に将来の大型液晶テレビの躍進を予感させるものであった。しかし、ブラウン管テレビも、その画像の鮮明さを主たる武器に多くの技術進歩を進め、1990年代に入ってもなお市場はブラウン管テレビが大きなシェアを占めていた。1990年に発売された松下のブラウン管テレビ「画王」は29型であり、それは1996年には43型のサイズにまで達するものとなった。ソニーのトリニトロンも1996年には画面がフラットな28型のスーパーフラットトリニトロンを発売し、その売り上げは1980年代をしのぐものとなった。

 一方、1990年代においてハイビジョン放送の本格化が始まると、大型画面に適したプラズマディスプレイ(Plasma Display Panel 以下PDPと呼ぶ)を使用したテレビが、その画質の良さや視野角の広さから脚光を浴びるようになった。この原理は1950年代にアメリカのイリノイ大学の研究者によって発見され、日本ではNHK放送技術研究所において独自の方式を取り入れつつ開発が進められてきたものである。1987年にNHKは20型カラーPDPテレビを開発している。初の商品化は、1992年に富士通ゼネラルによってなされた21インチのPDPテレビであった。さらに同社は1997年には42インチの当時としては世界初のフルカラーPDPテレビを販売した。

 他方、液晶テレビ部門では、その薄さ、使用電力量の少なさなどブラウン管やPDPテレビより優れた強みはあったが、14インチ以上の大型化にはなおいくつかの大きな課題が生じていた。最大のそれは視野角が狭いという問題であった。これはパソコンなどと違いテレビという多数の者が同時に見るものとしてはPDPやブラウン管に比して決定的な欠点であった。この課題は二つの方式によって改善されていった。一つは日立製作所の近藤克己らが追及したIPS(In-plane -Switching)液晶の開発で、これは同時にドイツのキーファ、バウアーらの研究と軌を一にするものであった。この成果は1995年に発表され実用化されていった。いま一つはフランス原子力庁が1980年代に発明し出願したもので、日本では富士通が製品化したVA(Vertical  Alignment)方式の展開であった。この両方式は内外の液晶パネルメーカーがそれぞれの方針に基づいてどちらかを採用したが、シャープはVA方式を採用しその改良を進めていった。

 1999年、シャープは20型の液晶カラーテレビを発売した。家庭用テレビの標準の大きさを有し、厚さは4.95センチという壁かけを実現できる薄さであった。2001年には、上下左右170度の角度からも画像が見えるASV方式を実現し、同年開発したテレビ、商品名アクオス(AQUOS)の画面サイズは一気に30インチにまで拡大した。

 2003年、テレビ放送の地上デジタル化が始まると、ブラウン管テレビは急速に液晶ないしプラズマテレビにそのシェアを譲るところとなった。プラズマテレビと液晶テレビの競合は、省電力に優れ急速に技術進歩を積み重ねた液晶テレビが次第に優勢となり、現在は液晶テレビが国際的にも薄型テレビの代表となっている。

図2 3型液晶カラーテレビ クリスタルトロン3C-E1

図2 3型液晶カラーテレビ クリスタルトロン3C-E1

出典:シャープホームページ


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