公益社団法人発明協会

安定成長期

プレハブ住宅

イノベーションに至る経緯

(1)住宅産業の成立

 プレハブ住宅の歴史は古い。19世紀前半において既に英国ではその萌芽がみられる。20世紀前半のドイツでは、例えばグロピウス(Walter Adolph Georg Gropius)が、1927 年、鉄骨枠パネルによる「乾式組立住宅(Trocken Montage bau/ トロッケン・モンタージュ・バウ)」をヴァイセンホフ住宅展に展示したことによって、日本にも大きな影響を与えたという。また、米国でもウィリアム・レヴィットによって建設されたレヴィットタウンは、ツーバイフォー工法による建築の部材を現場近くの工場から持ち込むことで大量に建築されている

 日本においてもプレハブ建築の研究は戦前に始まっている。様々な研究が発表され、住宅営団ではパネル式組立住宅を試作している

 戦後、焦土と化した東京や大阪などの大都市を中心に住宅不足は深刻化し、路上生活者が街にあふれる状況が続いた。政府も復興院を中心に多くの施策を講じたが、建設資材の不足は容易には解消しなかった。1950年に勃発した朝鮮戦争は、日本経済に特需をもたらし、これを契機に日本の産業の生産力が高まり、鉄鋼、セメントなどの建設資材分野にもようやく本格的な復興への機運が高まった。これによって工業化住宅への研究も再開されたが、なお住宅着工件数は年間20万戸水準で横ばいの時代が続いていた。

図表1 住宅着工戸数の推移

図表1 住宅着工戸数の推移

〔資料〕国土交通省総合政策局情報政策課建設統計室「建築統計年報」

 1950年代後半になると高度経済成長が始まった。人口の大都市集中は更に進み、ベビーブーム世代の就学、進学も始まった。まず、1955年に設立された日本住宅公団を中心に、そして自治体は公営住宅と住宅供給公社を主体として鉄筋コンクリート造のプレキャストコンクリート(PC)パネルによる標準設計の低層・中層賃貸住宅が供給された。同時にプレハブ工法による一戸建て住宅の量産化にも注目し、その開発を目指すようになった。民間でも、例えばトヨタ自動車の子会社トヨライトハウスによってコンクリートパネルでの社宅が初めて開発されるという進展があった。

 大きな注目を浴びたのは、1959年に発売された大和ハウス工業のミゼットハウスである。子供の勉強部屋を念頭に造られたものであったが、3時間で建設が可能で、価格は1坪当たり4万円以下という破格の値段で大ヒット商品となった。大和ハウス工業は1955年の創業であるが、その年にはパイプハウスというミゼットの前身となるプレハブ方式による仮設建物を開発し、営業的にも成功していた。このパイプハウスを評して東郷武は「建築物としては簡易なものであったが、建築は現場で一品施工が当たり前という概念を破り、不動産ではなく物品としての資産計上も可能な商品として民間市場で成功した記念すべき工法といえる」と述べている

 パイプハウスそしてミゼットハウスの商業的な成功は、多くの企業の注目を集め続々とプレハブ住宅市場に参入するところとなった。

 この1960年前後の時代は、建設資材として軽量形鋼やプレキャストコンクリート等の新たな資材が相次いで登場した時代でもあった。プレハブ住宅市場に参入した企業は、その新資材を取り入れ、次々に画期的な製品を開発していった。1960年には積水化学工業(後に積水ハウスが独立)がセキスイハウスA型を、1961年には松下電工(後にナショナル住宅建材(現パナホーム)が独立)が松下1号、ミサワホームが試作第1号、1962年にはダイワハウスA型、そして1963年にはセキスイハウスB型と現在に至るまでの各社の原型ともいえる製品が発売されている。プラスチック製造会社であった積水化学工業は鉄鋼に加えてプラスチックやアルミの取入れを目指し、松下電工は軽量鉄鋼を柱梁に使用する構造を追求し、そしてミサワホームは木質系の柔軟さをいかした木質接着パネル工法等それぞれ素材をいかしたプレハブ住宅を開発し、次々と改良を加えることでその市場は年々成長していった。上記の企業は現在もプレハブ住宅業界において大きな存在となっているが、この時代、例えば積水ハウスの主力商品となったA型、B型は入社間もない若手によって開発され、今日でもその基本構造は受け継がれている。1963年には業界団体としてプレハブ建築協会が設立されている。

 1966年、建設省(現・国土交通省)が「住宅建設工業化の基本構想」、1970年、通商産業省(現・経済産業省)が「住宅産業振興5カ年計画」を発表し、政府として住宅の工業化を促進した。民間の住宅工業化技術を進めるため、1970年「パイロットハウス技術考案競技」、1972年「芦屋浜高層住宅プロジェクト」、1976年から技術開発プロジェクトとして「ハウス55プロジェクト」などが推進された。

 1972年、日本の住宅着工件数は史上最大の185万戸強に達した。その年のプレハブ住宅着工数は15万戸に達し、全体の8.5%を占めるまでになった。プレハブ住宅を念頭にして「住宅産業」という言葉が定着した10。プレハブ住宅が産業化したのは世界で初のことである。

(2)質的向上への取り組み

 高度成長も後半に入ると、住宅数が世帯数を上回ることとなった。1968年の政府統計では総住宅数(2559万戸)が総世帯数(2532万世帯)を27万戸上回り、1973年にはその差は141万戸となり、かつ全ての都道府県で総住宅数が総世帯数を上回るまでになった。もはや量的需要のみを追求する時代ではなくなっていた。質的充実がより求められ、需要は多様化、個性化していった。プレハブ業界でもこの変化に対応して様々な取組が進められていた。一方、プレハブ住宅の普及と参入企業の乱立は、一部の製品へのクレームを発生させることとなり通商産業省は1972年に「工場生産住宅等品質管理優良工場認定制度」を、建設省は1973年に「工業化住宅性能認定制度」を導入して、その品質確保を制度的に確保するよう努めていた。

 このような背景の中で1973年、第一次の石油危機は勃発した。186万戸近くまで増大していた新規の住宅着工件数はわずか二年後の1975年にはその3分の2近く126万戸弱まで減少した。プレハブ住宅も着工数はもとより全体の着工数に占める割合でも一時的に減少した。多くのプレハブ住宅企業が急激な需要の減退に直面して撤退していった。

 このような危機の中で、まず企画提案型住宅の思想をもって新たなプレハブ住宅を生み出したのが1976年発売のミサワホームO型住宅である。これは三世代同居を念頭に省エネと敷地利用の効率化を追求し、それまでの常識を破って総二階建てとし、それによって生じる単調さを木質系住宅の特長をいかしたオーバーハングやフラワーボックスなどを配することで個性的な住宅としたものであった。

 一方、様々な角度から注文に適した快適なスペースを確保するとともにコストダウンを目指した工法の開発も進められた。化学分野で大企業としての実績を有する旭化成は、その製品である軽量気泡コンクリートを活用した住宅建設の開発を目指し、後発であるが既に戦後早くから住宅建設研究に取組んでいたトヨタホーム、積水化学工業などはパネルの大型化や部屋自体を内装も含めて工場で製造し、それを現場で接合組立するユニット構法と呼ばれる技術を競って開発した。それはそれぞれが開発してきた化学品や自動車製造で培われた技術、製品を活用しプレハブ産業に新たな活力をもたらすこととなった。

 各社がそれぞれ独自の構法を進化させるなかで、販売競争もし烈化した。プレハブ住宅は、技術に加えて宣伝と販促が経営面での重要な要素となった。展示場が各地に開設され、大手企業はもとより参入企業の多くは全国的な販売網の構築をも行っている。当初は代理店形式のそれが多かったが、直販店や特約店タイプのものも増加していった。製品であるプレハブ住宅への消費者の安心と信頼確保が不可欠であり、その要望に柔軟に対応し、それが低級品ではないことを示すことが重要であった。プレハブ住宅は一般的な耐久消費財の販売が必要とする営業システムと変わらないものになり、そのブランド化が重要な目標となった。

 戦後長らくプレハブ住宅の導入に取り組んだ人々は深刻な住宅難の解消を工場型大量生産がもたらすコストダウンに求めるところが多かった。それは石油危機後の1976年に開始された「ハウス55プロジェクト」11で価格の目標が掲げられたことにも表れている。しかし、21世紀の今日でもプレハブ住宅はむしろ全体平均より高価なものとなっている12。一方、プレハブ住宅を購入した者はその理由として安心性、耐久性、省エネ性といった高品質性を重視していることが分かる13。プレハブ住宅はこうした要素を備えたブランドによって選ばれる商品となったのである。1995年の阪神・淡路大震災でプレハブ住宅の全半壊が極めて少なかったこと14も安全性の認識を高めることになった。また、政府は1999年「住宅品質確保法」、2009年「長期優良住宅普及促進法」を制定し、良質な住宅供給を促進しているが、プレハブ住宅はこれらの制度活用の中心的役割を果たし、2015年度では戸建住宅の全長期優良住宅建設戸数に占めるプレハブ住宅の割合は40%を超えている15

 2015年のプレハブ住宅着工件数は14万3549戸、新設住宅総数に占める割合は、1972年の倍に近い15.8%である。そして、住宅の部品化、現場施工の単純化、営業方法等のビジネスモデルはツーバイフォーはもとより在来工法による建築においても次第に取り入れられ、次第に両者の垣根は崩れつつある。

 なお、タイ、マレーシアなど海外市場においても積水化学工業やパナホームなど日本のプレハブ企業の進出が進んでいる。

 また、建築技術の開発、これに伴う建築法規の改正により、オフィスやマンションなどの中高層建築物の建設が大都市で多く行われている。この中で現場施工を合理化するため、柱、梁、壁、床、外装等に工場生産したプレハブ部材を活用することが多く行われている。

 更に、組立ハウス、ユニットハウスなどの規格プレハブ建築を中心に、短工期でかつ大量供給できる特長から、災害時の被災者向け応急仮設住宅に活用されている。阪神・淡路大震災で約3万5000戸、東日本大震災で約4万3000戸のプレハブ仮設住宅の建設が行われた。


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