公益社団法人発明協会

安定成長期

UMAMI

イノベーションに至る経緯

(1)うま味と戦後、味の素の復興

 池田が発見したMSGは昆布のだしから抽出されたものであったが、1913年には池田の高弟であった小玉新太郎が鰹節から核酸関連物質であるイノシン酸を抽出し、これは第二のうま味の要素であることを発見した。さらに戦後には、1957年にヤマサ醤油研究所の国中明博士によって核酸関連物質であるグアニル酸ナトリウムもうま味成分であることが発見された。その後、グアニル酸は干し椎茸に豊富に含まれている成分であることが確認された。これらのうま味成分はいずれも和食に欠かせない食材から見いだされたものであった。

 MSGは、戦前から日本の統治下にあった台湾や韓国を中心に輸出され、1934年からは米国向けも拡大していた。輸出の戦前のピークは1937年で、この年の総輸出量は1510トン(内、米国向け341トン)2に達したが、1945年に終戦を迎えた時、味の素の主力工場であった川崎工場は戦災のため製造設備が破壊され、事実上唯一残された横浜工場から再スタートを切らざるを得なかった。

 戦後のそうした状況から、味の素がMSGの生産と輸出を再開する中で特筆すべきことは、1950年代後半の協和発酵工業によるグルタミン酸の直接発酵法など技術革新が相次いだことである。その画期的な製法によって大幅なコストダウンが可能となり、経済の復興と合わせてMSGの需要が大幅に拡大した。さらに、国中によりMSGとイノシン酸ナトリウムの併用はうま味の相乗効果をもたらすことが見いだされ、より高度のうま味調味料が開発されるところとなった。

(2)キッコーマンの海外進出

 化学調味料としてのMSGと並んで、戦前から食物のうま味を引き立ててきた醸造調味料が日本の醤油である。この日本の代表的な調味料である醤油の米国向け輸出の歴史は明治時代まで遡る。第二次世界大戦で一時中断された輸出は、戦後1949年から再開されたが、当初の5年間の輸出量は大半が日系人向けで戦前の水準には遠く及ばなかった3。1956年、初めて大手スーパーのサンフランシスコ支店の一部にキッコーマンの醤油が店頭に並べられ、それは地元新聞にも取り上げられた。同年、米国を視察した社長の茂木啓三郎は、この状況を踏まえて本格的な米国での市場開拓にとりかかることとし、翌1957年、サンフランシスコに現地法人を設立した。そして、醤油が米国の食文化にも適したうま味を引出す調味料であり、肉料理など米国人の一般的な食材、料理にも優れた効果を有することを様々な営業活動を通じて(例えば、日本料理家江上トミによる醤油を使った料理のテレビ出演など)紹介していった。

 こうした努力からバーベキューなどで肉の網焼きに醤油を使うテリヤキがブームとなった。1961年、キッコーマンは醤油をベースとしたバーベキュー用のソース、いわゆるテリヤキソースの輸出を開始し、それは醤油を全米に普及させるさらなる大きな一歩となった。

ロサンゼルスのスーパーでのデモンストレーション販売(1964年頃)

ロサンゼルスのスーパーでのデモンストレーション販売(1964年頃)

画像提供:キッコーマン

(3)安全性問題へ取組

 1960年、ロンドンで大量のあひるの雛が突然死した事件が起こった。その原因としてカビ毒の一種であるアフラトキシンが検出され、それは醤油を作る麹にも含まれると発表された。キッコーマンの中央研究所は直ちにこの問題に取り組み、麹にはアフラトキシンは含まれていないことを明らかにした。この研究結果は1966年の「第2回国際食品科学工学会議」に報告され承認された。その後も米国の食の安全物質 (GRSA物質)リストから除外される等の試練に直面したがその都度データにより安全性を立証し、消費者の信頼を深めていった。

 食の安全性に関してはMSGも大きな試練に直面した。1969年、米国のニクソン大統領の栄養問題担当顧問メイヤー博士が、ネズミへのMSG投与が脳視床下部損傷発現を起こしたとしてベビーフードにはMSGを使用しないよう勧告したのである。この勧告の影響は大きく、日本においてもベビーフードへのMSG使用を控える動きが広がることになった。味の素を始め日本化学調味料工業協会(現 うま味調味料協会)は、自社の研究はもとより海外の研究所や日本の国立予防衛生研究所にも実験を依頼し、これが食品添加物としての使用量を大幅に超える投与の結果であることを立証していった。学術的な評価が積み重ねられ、1980年4月、米国の食品医薬局は「MSGは現行使用レベルで食品添加物として安全」との評価を公表した。

(4)海外工場の建設と日本食ブームの到来

 1950年代より、味の素はアジアや南米に進出し、日本からの輸出で、現地リテール市場へは現金直売という味の素独自の販売方式による販路開拓で深く浸透していった。1954年以降、バンコクなどアジア各国への現地事務所および工場の開設を進めるとともに、1956年にはニューヨークに現地法人を設立し、さらに、ドイツ、フランスを中心とした欧州及びブラジルにも現地事務所を設立して販売網を拡充・強化していった。

 さらに1960年代に入ると、1962年のタイを皮切りに、フィリピン、マレーシア、ペルー等、世界各地に現地の原材料を使用した一貫工場を建設し、生産能力を拡大した。1970年代に入ると、海外企業との競合の激化や円の切上げ等を受け、現地に生産拠点のない国々向けは、ブラジルやインドネシア等海外輸出拠点からの供給へと徐々に切り替えていった。一方、日本からの輸出は、うま味成分を更に高度化させた食品やアミノ酸ビジネス等に傾注させていった。

 一方、米国における醤油の需要は1960年代に入ると、増大したが次第に輸送費の増高が大きな課題となった。醤油製造の原料である大豆や小麦はアメリカやカナダから輸入し、製品は米国などに輸出する構造は輸送費の負担を大きなものとした。加えて1971年のニクソンショックによる急激な円高がこれに拍車をかけた。キッコーマンは1973年、ウイスコンシン州ウォルワースに工場を建設し現地生産を開始した。 

 この両者の海外展開はともに醤油やMSGの日本ブランドを現地に浸透させる飛躍となった。ウォルワース工場の製品は日本でのそれと変わりない出来栄えで、また、労使関係や地域関係も良好であった。ライシャワー元駐日大使は「食文化の国際交流の顕著な例証」と讃えている4。味の素のMSGは海外工場が生産の主力となっていった。そして、現地に溶け込むべくその国の食文化に即したうま味発揮製品を作り出すとともに、例えばテレビ料理番組のスポンサー(タイ)、クッキングプラザの設置による料理の普及(ペルー)、そして政府の栄養強化プロジェクト(フィリピン)への参加など、うま味を実感させる普及活動に取り組んでいった。

 同じ時期、米国では日本食に対する関心が広まるようになってきた。既にテリヤキソースが普及し始めた1960年代には日本人の青木湯之助が長男のロッキー青木(本名、青木廣彰)らと鉄板焼きのレストラン「ベニハナ」を開店し、人気を博していたが、伝統的な和食への関心が本格化したのは1970年代に入ってからであった。まず、西海岸での高所得者の間での寿司ブームが始まり、それはニューヨークなどの東海岸にも広がっていった。

 1973年、米国議会の上院は「栄養と所要量に関する特別委員会(Select Committee on Nutrition and Human Needs) 通称マクガバン委員会」を発足させた。そして、1977年2月同委員会は、肉類、脂肪、塩分,砂糖などの摂取を控え、野菜、魚、鶏肉などの増加を進める報告書を発表した。この反響は大きく、報告の条件を満たす日本食への関心は一気に大衆レベルまで広がった。同時に、欧米一流シェフによる和食やそれが体現するうま味への評価の高まりもあり、日本食ブームが到来した。それは、米国を超えて欧州そしてアジア等の地域にも広まっていった。キッコーマンは、既に1973年ドイツにレストランを開設し、欧州における醤油市場の開拓に取り組むとともに日本食の普及に努めていた。日本人による海外での日本食レストラン経営も活発化したが、現地資本、現地人による日本食レストランも輩出した。寿司はとりわけ人気商品となり、回転寿司システムも各地で見られるところとなった。「生魚を食べる」ことは世界の常識となった。

(5)世界のUMAMIへ

 1996年、世界のMSG生産量は100万トンにまで達した5。現在では300万トンを超えると推定されている6。日本の醤油は現在100カ国以上で販売されている。

 日本食レストランの数もうなぎ上りで増大した。2015年の農林水産省推計によれば全世界で8万9000軒に達するという7

 MSGそして醤油の普及、更には日本食への関心の高まりとともに内外でのうまみ味の学術研究も深化してきた。1985年10月、第一回の「国際うまみ味シンポジウム」がハワイで開催された。うまみ味は「UMAMI」として国際的な学術用語となった。

 さらに2000年には、舌にある味蕾の感覚細胞にグルタミン酸受容体候補(mGluR4)があることをマイアミ大学研究チームが発見した。そして、2002年にはうまみ味に最も感応する受容体としてT1R1/T1R3がカリフォルニア大学の研究チームによって発見された。これによって、うまみ味は池田の主張した通り「甘酸鹹苦」と並ぶ基本味の一つであることが科学的に証明された。

 21世紀に入ってからも発見は続いている。2007年、味の素の研究グループが胃にもグルタミン酸の受容体があることを発見した。グルタミン酸はおいしさを構成する成分であるだけではなく、舌から脳にグルタミン酸のシグナルが送られることで唾液分泌が促進されること、胃から脳へのシグナルによって胃液や膵液の分泌が促進されタンパク質の円滑な消化・吸収を助けるという生理学的な役割を持つことが認められ、新たな注目を浴びている8

 そして、2013年、和食はユネスコの無形文化遺産に登録され、うま味を体化した日本の優れた文化として認められた。

 日本の科学者そして食品関係産業が取り組んできたうま味の開発、普及による世界の「UMAMI」への発展は、同時に和食が国際的文化産業へと認定される長い国民的努力の積み重ねの過程でもあった。


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