公益社団法人発明協会

安定成長期

G 3ファクシミリ

イノベーションに至る経緯

 ファクシミリは1843年に発明されながら、その後約130年、電報・天気図・報道写真など専用線を使い、特定業務でのみ使用されてきた。書画伝送に対する大きな潜在需要がありながら、なかなか普及しないことから、長らく『眠れる巨人』と揶揄されてきた。

 G3ファクシミリは、既存のそれに比べ、第1に事務分野で使える高速ファクシミリであったこと、第2に電信やTELEXと異なり専用オペレータ不要の手軽な記録通信の実現であったこと、そして、第3に国際的な不特定多数の相互接続が可能であったことに加え、通信事業者からすると、公衆電話網用の非音声の新トラフィックの創出でもあったことから時代のニーズに適合したものとなった。

 一方、G3ファクシミリ開発を可能にしたシーズの第1は1970年代からの半導体技術の進歩であり、第2に「電話網の開放」である。第3に情報社会の進歩である。このようなシーズが上記のニーズとマッチした1970年代に、まさに眠れる巨人が長い眠りから覚め、G3ファクシミリとして地球規模で活躍し始めたといえる。

 なぜ、日本がG3ファクシミリの国際標準化のリーダシップを取ることができたのであろうか。第1に日本では、漢字・ひらがな・カタカナを使う国に適した通信手段という認識も強く、電話網用高速ファクシミリの実用化が強力に進められた。第2にNTTの北原安定副総裁が10万円ファクシミリ構想を提唱し、1976年からミニファクスの開発が開始され、「光電変換」技術と「記録」技術の固体化・デジタル化が一挙に加速されるとともにファクシミリの量産体制が日本において進んだことである。また、KDDが1975年、世界で初めてCCITTに、2次元逐次符号化方式を提案したことやNTTがG2ファクシミリの標準方式となる方式を提案するなどCCITTにおける継続的な取り組み実績も挙げられる。

 以下、IEEEマイルストーン認定においてG3ファクシミリ国際標準化成功の要であり最もイノベーティブと評価された2次元符号化方式を中心に述べる。光電変換、記録方式や伝送制御など他の要素技術にも数多くのイノベーションがあるが、詳細は例えば、画像電子学会編『ファクシミリ史』2や小川睦夫著『ファクシミリの系統化』3などを参照願いたい。

 CCITTでは、当初は2次元符号化方式は「招かれざる客」であった。

 1次元符号化は、各走査線ごとに同一色画素の長さいわゆるランレングス(以下「RL」と呼ぶ)により符号化を行う。モディファイドハフマン(以下「MH」と呼ぶ)符号を使用する1次元RL符号化方式(以下「MH方式」と呼ぶ)は、後にG3ファクシミリの基本符号化方式として勧告された。

 CCITTでは、第6会期の後半の1975年当時、G3ファクシミリの符号化方式の標準化は時機尚早という雰囲気が強く、標準化するにしても1次元方式で十分という空気が強かった。このような状況において1975年4月、KDDはRAC方式をCCITTに提案し、2次元方式の優位性と早期国際標準化を主張した。しかし2次元方式に対する他国の支持はなく、一時は標準化の検討の対象からも外されかねず、「招かれざる客」の悲哀を感じるところとなった。これを懸念した当時KDD代表の寺村浩一は2次元方式を基本機能として固執することは危険と判断し、1975年11月のCCITTの会合で「1次元方式を基本方式とし、2次元方式はオプションとして継続検討する」ことを提案し、かろうじて認められ、2次元方式は何とか議題として生き残った4。その後NTTも2次元逐次符号化方式であるEDIC方式を提案した。

 G3ファクシミリ等デジタルファクシミリの優秀性はやがて広く認められるようになった。CCITTでも第7会期(1977~1980年)になるとデジタルファクシミリの国際標準化に対する日本の主張は理解され、デジタルファクシミリを担当する作業部会(WP2)議長に寺村浩一が推挙された。

 こうした世界の動向を踏まえ、日本では国際標準化実現に向け、1977年4月から郵政省がファクシミリ通信方式部会(部会長:遠藤一郎電気通信大学教授)を発足させ、KDD、NTTはじめ国内6機関から提案された6方式について比較評価を行うこととなった。この評価はし烈を極め、次回会議にデータ提出が間に合わなければ即脱落という緊張した雰囲気で、各機関のリーダーは高価だったコンピュータ使用料の予算確保に頭を悩まし、担当者はコンピュータ室に寝袋を持参し徹夜でシミュレーションすることも珍しくなかった。

 最終的な統一案候補にはKDD提案のRAC方式とNTT提案のEDIC方式が残った。

 その後、郵政省の指導により、KDD、NTTによる日本統一案の作成作業が進められた。RAC方式とEDIC方式の特長を取り入れ、圧縮比も両方式を上回る方式を統一案として1978年6月にまとめられた。この方式はREAD方式と命名され、1978年8月に日本統一案として承認され、同年12月のCCITT SG XⅣ会合に正式寄書として提出された。

 CCITTにおいても、それまで関心を示さなかった欧米諸国も次第に2次元方式の有効性に着目するようになってきた。各方式間の優劣を比較するための評価項目を定め、新たな方式提案の締切りを1979年3月末日と定めた。評価項目は、圧縮率、伝送誤りの画質への影響、方式の複雑さと装置化コスト及び特許問題であった。また、G3ファクシミリ標準化の最終作業部会はCCITTの要請もあり、1979年11月京都で開催されることとなった。

 標準テスト原稿は仏国からテープで提供された8枚、回線雑音は西独が電話回線で収録した実際の誤りパターンを共通に使用することとした。各方式提案者はこれらを用いて計算機でシミュレーションを行い評価項目に挙げられている定量的データを取得するとともに、伝送誤りを加えた信号を復号した受信画の磁気テープを米国IBMに送り、IBMはその受信画を再生し、これを米国政府NCSがオフセット印刷して各国に配布するという遠大な国際試験計画が立てられた。最終的には、READ方式を含め7つの2次元符号化方式が提案された。すなわち、2次元逐次方式を基本とする日本、IBM、AT&T、英国BPO、3M、そして予測符号化を基本とする西独、及びXEROXである。

 世界レベルでの壮大なシミュレーション評価試験の結果、圧縮率が最も高くcomparison codeであり、商用化の実績もあるREAD方式を軸に議論が進んだ。最後は各国が期待するアルゴリズムの簡易化であり、英国BPOの提案はこれに沿ったものであった。これに若干手直しし、IBM提案の非圧縮モードも組み込みModified READ(以下「MR」と呼ぶ)方式がまとめられた。特許の扱いのみが残されていた。CCITTでは標準に関する特許は、非差別、非独占、妥当な特許料のもとに公開するのが原則であったが、あまり有償に固執すると標準化のタイミングを逃しかねない。そこで、日本は、MR方式がオプションである2次元方式の単一の国際標準に採用されるならば、特許を無償で提供する用意のある旨宣言した。この宣言を契機に会場のわだかまりは一気に消え、MR方式は全会一致で単一の国際標準として成立し、勧告案T.4の2次元方式の空白は、MR方式の記述で埋められた。日本代表団の事前の熟慮の結果とはいえ大英断であった。日本発の国際標準の誕生である5

 図4からも分かるように、G3ファクシミリは国際標準化成立後30年余り経過した現在も、複合機も含め毎年1000万台以上が出荷生産され、電話にはない新たな記録通信手段として世界で幅広く活躍し続けている。

図4 デジタルファクシミリと複合機の出荷生産台数 (含む輸出)

図4 デジタルファクシミリと複合機の出荷生産台数 (含む輸出)

出典:情報通信ネットワーク産業協会 中期需要予測実績


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