公益社団法人発明協会

宅急便

概要

 日本人のほとんどが一度は利用したことがあるであろう宅配便。この宅配便ビジネスに先鞭をつけたのは、ヤマト運輸株式会社(創業当時は「大和運輸」で1982年に改称。以下「ヤマト運輸」と呼ぶ。)である。1976年、ヤマト運輸は「電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」というコンセプトの新しい宅配サービスを開始し、これを「宅急便」と名付けた。

 当時、一般家庭向けの個人宅配を行っているのは郵便局のみであり、民間の業者で行っているものは全くなかった。それは、大口で安定的な需要を見込める商業貨物に比べ、需要の予測もつかず、また行き先もばらばらである個人宅配のビジネスは採算が取れないという考えが支配的だったからである。しかし、当時同社社長であった小倉昌男は、ニューヨークを訪れた際に、交差点の4つ角にユナイテッド・パーセル・サービス社1(United Parcel Service。以下「UPS」と呼ぶ。)の小型トラックが4台止まっていることに注目し、個人宅配ビジネスの可能性を見出していた。それまでの百貨店配送業務や貨物輸送用集配業務が伸び悩み、転機を迎えていたことも個人宅配ビジネスへの決断を促すものであった。

 しかし個人宅配ビジネスを行ううえでは様々な障害があった。当時トラックによる貨物輸送を行うには、路線免許制により地域ごとの免許取得が必要であり、地元物流業者等の抵抗があると新規の免許取得に膨大な時間が必要となった。このため1980年代まで、宅急便を利用できるのは大都市圏を中心としたユーザーに限られていた。

 さらに規制をクリアできても、採算が取れるレベルにまで規模を拡大するには、広く浸透している郵便小包から利用者を奪わなければならなかった。そのためには、全国規模の集配ネットワークの構築と、「翌日配達」などを中心としたサービスの差別化が必要とされた。こうした課題を一つ一つ解決した結果、ヤマト運輸の宅急便は一般利用者に広く普及し、民間による個人宅配ビジネスが可能であることを証明した。宅急便の成功は他の運送会社の個人宅配への参入を促し、民間による個人宅配便市場が確立したのである。1976年1月20日に開始した宅急便がその日に送り出した荷物はわずか11個であったが、2013年の宅配便市場は3,637百万個にまで拡大し、世界的なネットワークも広げつつある。


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