公益社団法人発明協会

高度経済成長期

ヤクルト

イノベーションに至る経緯

(1)乳酸菌の強化培養の成功からヤクルトの誕生まで

 ヤクルトの創始者である医学博士の代田 稔が京都帝国大学(現在の京都大学)に入学したのは1921年である。当時の日本は衛生環境、栄養状態が良くなく、感染症で亡くなる人が多かった3。代田は病気にかからないようにする「予防医学」を念頭に微生物研究に取り組む中で、乳酸菌に着目した。

 乳酸菌は代謝により乳酸を多量につくる細菌の総称である。腸内で有害菌の増殖や有害物質の生成を抑える働きをする有用菌として知られている。

 栄養素を吸収する重要な器官である腸を健康にすることが人の健康と長生きにつながる(「健腸長寿」という考え)と考えた代田は、自然界から多くの微生物を調べ、ある乳酸菌が有望であることを発見した。その菌を強い酸性培地で培養し、高い耐酸性を示す株を選抜することで、1930年に胃液や胆汁などの消化液に負けず、生きたまま小腸に到達して、有益な作用を発揮する乳酸菌の強化培養に世界で初めて成功した。その乳酸菌は、後に「ラクトバチルス カゼイ シロタ株」と命名され、今日では「乳酸菌 シロタ株」の名称でも親しまれている。

 外部より摂取した乳酸菌 シロタ株は一定の期間を過ぎると体外に排出されるため、継続的な摂取が望まれる。そのため、医薬品としてではなく毎日手軽に摂ることができるよう、「誰もが手に入れられる価格で」飲料として提供する方法が選ばれた。

 代田は3つの考えを提唱している。「予防医学」「健腸長寿」そして「誰もが手に入れられる価格で」提供することである。これに賛同した有志とともに「乳酸菌 シロタ株」は飲料として製品化され、1935年、福岡市に設立された「代田保護菌研究所」のもとで、「ヤクルト」の商標(「ヤクルト」の商標登録は1938年)で製造・販売が開始された。

ヤクルトの創始者 代田 稔 医学博士

ヤクルトの創始者 代田 稔 医学博士

画像提供:ヤクルト本社

乳酸菌 シロタ株

乳酸菌 シロタ株

画像提供:ヤクルト本社

(2)独自の販売システムの構築と展開

 ヤクルトは、当初、牛乳販売店などを通じ宅配販売され、1940年ごろには販売専門の「代田保護菌普及会」が各地に誕生した。普及会の名が示すように販売するだけでなく、ヤクルトの効能や「予防医学」、「健腸長寿」の考えを伝える普及・啓発活動とも言える草の根的な販売が全国各地で展開された。生きた乳酸菌を飲料として摂取し健康につなげるという考えが珍しかった時代に消費者の信頼を得て、継続的な購入を促すための最適解を模索する販売活動であった。

 1955年、ヤクルト本社が株式会社として発足した。これにより、それまで地域によって異なっていた規格や味を統一し、研究を強化するために京都に研究所も設立した。一方、ヤクルトの販売は、各地の普及会等が発展した販売会社が担う体制となった。

 予防医学の観点から推進されてきたヤクルトは、嗜好品ではなく規則正しい毎日の摂取が望ましい。また生きた乳酸菌を扱うため常に一定の温度で保冷されていなければならない。冷やしたまま届け、直ちに飲んでもらうか、冷蔵庫に入れてもらうよう声を掛けやすい販売方法、勝手口から声をかけやすい販売方法が模索された。当時の主な顧客は一般家庭の主婦であり、女性による販売がより親しみを持たれると考えたことから、1963年、ヤクルト独自の婦人販売店システム(ヤクルトレディ組織)がスタートした4

 ヤクルトレディは2016年3月末現在では、全国に約2500カ所あるセンター(営業拠点)を拠点に、約3万6500人が活躍し、強固な販売網を築き上げている。ヤクルトレディは、製品の販売だけでなく、一人暮らしの高齢者の安否を確認する「愛の訪問活動」、自治体・警察などと連携して行う「地域の見守り・防犯協力活動」といった社会活動にも取り組んでいる5

 また、後述するヤクルトの海外展開にもこのシステムが大きく貢献しており、2015年12月末現在、海外12の国と地域で、約4万4800人のヤクルトレディが宅配に携わっている。

ヤクルトレディによる宅配

ヤクルトレディによる宅配

画像提供:ヤクルト本社

(3)プラスチック容器の誕生

 ヤクルトの容器は、発売以来ガラス瓶であった。牛乳瓶同様これを毎日多数の顧客に宅配するのは重労働であり、回収もまた大きな負担であった。1968年、ヤクルトはそれまで使用されていたガラス瓶容器に代わりプラスチック製の容器を導入した。容器のデザインは、著名なデザイナーの剱持勇が担当した6

 この容器はヤクルトの商品イメージを決定的なものにした。ひと目でヤクルトであることを誰もが認識するデザインであり、機能性も優れていた。手のひらサイズで手軽に飲めて、衛生的であり、割れにくく廃棄もガラスのように割れる危険を考えなくて済むものとなった。さらに、容器中央のくびれは、持ちやすさに加え中身のヤクルトが一気に口に流れ込むことなく味わって飲むことのできる形状となっている。容量も子どもや高齢者でも飲みきることのできる65mlとされている。容器の材質には軽く、安全性の高いポリスチレンが使用されている7

 この容器の導入は、ヤクルトレディの労働環境を大きく変えるものともなった。それまでのガラス瓶に比べ軽く、回収の必要がなくなり、宅配に掛かる労力が低減された8。さらに、空容器の回収にかかる時間を本来のヤクルトの普及に費やすことができ、販売実績も大きく伸長した。

 導入から半世紀近く経つ現在に至るまで同じデザインが使用され続け、広く国民に浸透しているほか、海外で販売されているヤクルトの多くも同じ形状の容器で親しまれている。

1968年発売当時のヤクルト容器

1968年発売当時のヤクルト容器

インドネシアにおけるヤクルト容器

インドネシアにおけるヤクルト容器

中国におけるヤクルト容器

中国におけるヤクルト容器

画像提供:ヤクルト本社(3点とも)

(4)海外展開

 前記のヤクルトのビジネスモデルの海外展開は、ヤクルトレディ組織が始まった翌年、1964年の台湾への進出に始まった。以降、ブラジル、タイ、韓国など中南米や東南アジアに進出し、1994年以後はオランダ、ベルギー、イギリスなどの欧州、さらに中国へと世界中にネットワークを広げてきた。現在では、28の海外事業所を中心に、海外37の国と地域でヤクルトをはじめとする乳製品の販売を展開している9。海外におけるヤクルトなどの乳製品の平均販売本数は2015年12月現在、一日約2648万本であり、日本国内を含めるとその数は3500万本以上に達するまでに拡大している。

 どの国や地域の消費者にも鮮度の高い商品を提供できるよう、現地生産・現地販売を行う「現地主義」が採られている2。また、「代田イズム」を根底としたヤクルトの理解促進に資する各地の生活文化や習慣に応じた健康情報の発信、予防医学の普及・啓発活動が積み重ねられている2

 他方、海外で販売されているヤクルトの内容は、国や地域による変化はほとんどなく、日本と同様である。販売システムも日本と同様にヤクルトレディによる宅配営業とスーパーマーケットなどの店頭を通じた直販営業の2本立てである。一部の国や地域では実情や風習により、直販営業が先行して実施されているが、基本的な販売形態は日本と変わらない10

 このように、日本と同じ商品、販売システムをそれぞれの国や地域に合わせて展開することで、日本発のビジネスモデルがうまく機能し、生きた「乳酸菌 シロタ株」を摂取し健康につなげるという新しい文化・習慣を現地に定着させることに成功していると言える。

日本を含む世界におけるヤクルト等の乳製品一日平均販売本数の推移(1964~2015年)

日本を含む世界におけるヤクルト等の乳製品一日平均販売本数の推移(1964~2015年)

資料提供:ヤクルト本社

インドネシアのヤクルトレディ

インドネシアのヤクルトレディ

画像提供:ヤクルト本社

メキシコのヤクルトレディ

メキシコのヤクルトレディ

画像提供:ヤクルト本社


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