公益社団法人発明協会

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脱硫・脱硝・集じん装置

概要

 第二次世界大戦による壊滅的状況からいち早く回復した日本経済は、1960年の「所得倍増計画」とこれに続く「全国総合開発計画」の下、重化学工業を中心とする鉱工業生産を飛躍的に拡大した。鉱工業生産の増加によりエネルギー消費量も急増し1、同じ時期に水力から石炭、石油と続くエネルギーの転換が行われたこともあって、各地で公害問題が顕在化した2。特に公害によるぜんそくの原因とされた硫黄酸化物、光化学スモッグの原因とされた窒素酸化物、黒いスモッグの原因とされたばい煙については早急な対応が求められ、大学等の研究機関や産業界による新しい技術開発が積極的に行われた。

 排煙からの硫黄酸化物の除去(脱硫)に革新をもたらしたのが、東北大学の村上恵一教授(以下「村上」と呼ぶ)と堀省一朗教授(以下「堀」と呼ぶ)等により開発された「石灰-石こう法排煙脱硫技術」である。1953年に基礎研究が開始された後、1955年から文部省(当時)の科学技術研究費を受け、工業技術院東京工業試験場(当時)の設備を用いて実用化試験が行われた。さらに、特許の使用許諾を受けた日本産業技術により基礎設計が行われ、翌年、三菱重工により実機が開発された。この技術は、排煙に含まれる亜硫酸ガスを石灰スラリー(懸濁液)に吸収させるもので、副生品として石こうを産出することから、高度経済成長時代の貴重な建材資源を生み出すものとなった。三菱重工業に続いて、国内の多くのプラントメーカーがこの方式を採用し3、この技術は全国に普及し、我が国の硫黄酸化物による大気汚染を劇的に改善した(図1「我が国の大気汚染濃度の年平均推移」参照)、特に、四日市市では、硫黄酸化物の30%がこの技術により回収されたとされている4。また、海外にも技術移転あるいは製品輸出され、世界の排煙脱硫処理のほとんどに採用されるものとなった5。石灰-石こう法排煙脱硫技術は、日本で誕生し、日本で開発された世界の環境問題に貢献したイノベーションである。

 排煙からの窒素酸化物の除去(脱硝)については、アンモニア接触還元法用触媒の開発がその実現のブレークスルーとなった。アンモニアが窒素酸化物の還元剤として有効であることは古くから知られていたが、これを石炭、重油などを燃料とするボイラー等の燃焼排ガスの処理に用いるためには、これまでとは異なる全く新しい触媒の開発が必要であった。このため、国内外の企業による激しい技術開発競争が行われたが6、その中でいち早く担体として酸化チタンを用いた触媒を開発したのが日立製作所、三菱油化(現 三菱化学)、バブコック日立で、世界に先駆けて本格的排煙脱硝装置を実現した。同じ時期、武田薬品工業も酸化チタン触媒の開発に成功し、その後も多くのプラントメーカー、重電メーカー、触媒メーカー、化学工業メーカーが、板状触媒ユニットあるいはハニカム構造触媒ユニット等を開発し、この技術の国内外への普及を加速させた。アンモニア接触還元法を中心とした選択接触還元法は現在設置されているほとんどの排煙脱硝装置に採用されており7、世界の窒素酸化物による大気汚染問題を解決する主流技術となっている。

 排煙からの粉じん・ばいじん除去(集じん)については、古くから様々な対応が行われていたが、全国で激しい公害問題が発生し、大気汚染に対する規制が極めて厳しいものとなったことから、高性能集じん装置である電気集じん装置が設置されるようになった。石油危機後、再び石炭火力への転換が行われると、燃焼により生じるフライアッシュの電気抵抗が高いことにより集じん率が低下するという問題がでてきた8。この問題を解決するために、三菱重工業等は、操作温度と電気抵抗との特性を分析し、操作温度を高くして電気抵抗を下げる高温電気集じん機、操作温度を露点以下(90~100℃)にして電気抵抗を下げる低低温電気集じん機をそれぞれ開発し、実用化に成功した9。1990年以降に新設される微粉炭火力発電では、様々な性状のばいじんに対応できる低低温電気集じん機が主流となった。

 大気汚染防止対策が有効に機能するためには、新たに開発された装置が積極的に導入されるだけでなく、社内に産業公害管理組織を確立し、これを管理する人材の育成が必要である10。我が国がいち早く「公害列島」という汚名をそそぐことができたのは、様々な革新的技術の開発だけでなく、それに対する積極的投資、社内管理体制の構築とこれを支える人材の育成によるところが大きい。

現在のコンビナート

現在のコンビナート

出典:四日市市

図1 我が国の大気汚染濃度の年平均推移

図1 我が国の大気汚染濃度の年平均推移

注;一般環境大気測定局における平均測定値

出典: 環境省「平成16年度大気汚染状況について」より作成


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