公益社団法人発明協会

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ハイブリッド車

イノベーションに至る経緯

 ハイブリッドエンジンを世界で初めて発明したのは、フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)など数々の傑作車を設計したフェルディナンド・ポルシェであるといわれている。19世紀末頃、自動車産業はまだ勃興して間もなく、動力源は蒸気、内燃機関、電気などが混在していた。その中でポルシェは、ホイールモーター式の電気自動車を1896年に発表し、1900年頃に電気自動車の航続距離などの不便さを補うため、小型のガソリンエンジンを発電用に搭載したハイブリッド車「ミクステ」を製造した。しかしその後、フォード・モーター社によってガソリン自動車の「T型フォード」が大衆車として販売されると、それまで混在していた乗用車の動力源はガソリンが主流を占めるようになってきた。その他の動力源の大半は市場における地位を失い、ハイブリッドエンジンの研究開発もその後積極的に行われることはなくなった。

 1960年代に入り、自動車の排出ガス規制が厳しくなると、三元触媒などの対策開発が進むとともにガソリンに変わる新たな動力源が模索されるようになった。トヨタによる新たな動力源開発の出発点は、1970年代のガスタービンハイブリッド車であった。トヨタは1977年、現在のハイブリッド車の原点でもある「トヨタ スポーツ800・ガスタービン ハイブリッド」を、第22回東京モーターショーに出展した。

 1990年代になると、温暖化問題は地球規模の課題となっていった。トヨタは、1992年9月に、第3開発センター内にEV(電気自動車)開発部を新設し、同年10月には乗用車用燃料電池の開発プロジェクトを立ち上げた。しかし、これらの技術には課題が多く、市場に浸透するには至らなかった。

 数々のシミュレーションを繰り返した結果、トヨタは内燃機関と電気モーターを組み合わせたハイブリッドエンジンにたどり着き、1995年春にその開発がスタート。1997年3月には「トヨタハイブリッドシステム(以下、THSと呼ぶ)」を発表した。ハイブリッドシステムにはシリーズハイブリッド方式とパラレルハイブリッド方式があるが、THSは両者をミックスさせ、各々の長所を最大限いかしたシステムである。このようなトヨタ独自のハイブリッドシステムを構築する必要があったのは、開発当初に掲げた目標を達成する上で、従来の技術の延長線上では不十分だと判断したためである。THSの開発にあたって掲げられた主な目標とは以下の5つであった。

  • 従来の2倍の低燃費の達成
  • 画期的な排出ガスのクリーン化
  • 従来車を超える滑らかで応答性の良い動力性能
  • 電気自動車のような外部充電が不要なシステムとすること
  • 一般のユーザーが十分購入できるコスト設定と信頼性確保を図り、プロトタイプではなく量産車として世に問うこと

 THSはこれら5つの目標を高いレベルで達成することを可能にした。

 第4開発センターEHV技術部シニアスタッフエンジニア (1998年当時)の八重樫武久はTHSの開発について「もともと商品化を前提としたプロジェクトではなかった」1という。燃費効率と排出ガス減少を両立する理想のパワートレインを技術的に追求した結果、THSの構築に至ったのである。八重樫は当時の開発過程について「開発の途中で壁に突き当たり、大きく後戻りするような局面はなかった」2と述べている。始めに決めた方針がよく、それに向かって突き進むことで当初の目標を上回る成果を実現することができたのである。また、開発チームのメンバーに恵まれたことも大きい。ハイブリッドシステムの開発においては、その技術もさることながら、人材も多彩であることが求められる。コアとなるメンバーは12~13人であったが、これらのメンバーが多能工的に数々のトラブルに対応したことが、予想を遥かに上回る短期間での開発につながった。

 THSの開発は、「初代プリウス」の誕生という形で結実した。プリウスは28km/L(10・15モード燃費、以下同じ)という従来のガソリン車の2倍の燃費効率を誇り、有害な排出ガスも規制値の10分の1に抑えられている。しかし、プリウスの価格は215万円と類似車種より割高な上、新しいタイプの乗用車であったために、当初は売れるかどうか不安だったという。しかし、こうした予想に反して、プリウスは発売当初から広く消費者に受け入れられた。1997年12月に販売を開始してからわずか3年で、それまで30年以上かけて世界中で販売された電気自動車のトータル台数を上回った。

 プリウスの販売は、競合他社にも大きなインパクトを与えた。特にホンダはいち早くトヨタに追随し、1999年11月にパーソナルハイブリッドカー「インサイト」を発売した。これはホンダ独自のハイブリッドシステム「ホンダIMA(インテグレッド・モーター・アシスト)システム」を搭載したもので、35km/Lという世界最高水準の低燃費を実現した。ホンダIMAシステムは、構造がシンプルで軽量であり、車両の軽量化・コンパクト化を実現できることが強みであった。

 1990年代末のプリウスとインサイトの誕生を契機として、トヨタとホンダの2社によるハイブリッド車の開発競争が加速することになった。2003年にはトヨタが燃費35.5km/Lと低エミッションを実現した「トヨタハイブリッドシステムⅡ」を開発し、同年にそれを搭載した2代目プリウスを発売した。一方のホンダは、コンパクト化と低燃費を更に追求し、2009年2月に189万円というリーズナブルな価格で2代目「インサイト」を発売し、トヨタも同年5月には3代目プリウスを発売した。

 以上述べてきたように、ハイブリッドエンジンの開発は、開発当初に掲げられた高い目標を実現するだけの技術力、人材の下に成し遂げられ、ハイブリッド車という市場を新たに創出した。そして、トヨタとホンダの2社による短期間での激しい開発競争の結果、著しい性能向上が実現され、ハイブリッド車市場は、近年ますます拡大している。


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