公益社団法人発明協会

戦後復興期

ファスナー

発明技術開発の概要

 終戦直後、米国人バイヤーに見せられた米国製ファスナーの品質の高さに驚愕し、米国でファスナー生産の機械化が進んでいることを知った吉田は、いまだ手作業に依存している日本製ファスナーはこのままでは滅びるとの危機感を強く持った。

 高品質かつ安価な米国製ファスナーに対抗するため、吉田は米国製の製造マシンを輸入し、生産の効率化を計る構想を立てたが、そのために必要となる資金は、主要機械及び部品類を含め当時の価格で3~4万ドルと、極めて高価であった。

 このため吉田は、当時発足したばかりの業界団体を通じて、共同輸入を実現しようとした。しかし、この取組もその費用の高額さ故に賛同者を得られずに終わった。

 しかし吉田は、「手先の器用さと低賃金に頼っている限り、ファスナー事業は永久に中小企業の域を脱し得ない」と考えていた 。そのことが、吉田をYKK単独でのチェーンマシン導入へと突き動かした。まずファスナーの品質を向上させるため、YKKは伸銅工場を1949年2月に稼働開始した。また綿テープ、丸打紐、撚糸機の生産を行う織機工場を同年7月に稼働開始した。これにより、ファスナーに係る各種部品を社内で内製できる体制を整えた。また、自社単独での米国製ファスナーチェーンマシンの輸入申請手続を同月行い、通産省より3万5000ドルの外貨割当を得た。同年、11月末伸銅工場は火災により焼失するものの、1950年1月には復旧することができた。

 1950年7月、遂に最初の米国製中古ファスナーチェーンマシンが日本に到着した 。9月までには残りの3台が導入された。その性能は国産機に比し、大幅な工程の短縮をもたらした。また同年9月には、国内の精密機器メーカーである日立精機に同等のチェーンマシンの製作を依頼し、1台12万円、支払いは30台ずつの条件で100台を発注した。1951年5月、日立精機からチェーンマシン10台が納入され、同年8月には30台が納入された。これにより、高い品質と生産性を実現できる生産体制を確立することができた。

 チェーンマシンではさらにYKK独自の技術革新が追加された。1953年には、高速で務歯を間欠的に打ち付ける機構を自社開発し、特許出願を行った。その後、1959年、パンチとダイによる平角線からの務歯打ち抜き機能と間欠植付け機能を備えた自社開発品であるCM3型機を開発した。その後、後継機であるCM6型機を1964年に製造開始した。

自社開発ファスナー製造機 ファスナーチェーンマシン(YKK-CM6)(写真は1981年製)

自社開発ファスナー製造機 ファスナーチェーンマシン(YKK-CM6)(写真は1981年製)

画像提供:YKK

 独自のチェーンマシンの開発によりファスナーチェーンの生産性は向上したが、スライダーの製造は依然手作業に依存しており、一日当たり300個の生産が限界であった。そのため1953年、スライダー連続加工装置を自社で開発し、同年6月より導入した。このスライダーマシンでは、面取り及びマーク打ち、外形抜き、外郭成形、爪穴空け、引手取付部打ち出し及び成形、切断、折り曲げが連続して行われることで、1分あたり500個のスライダーを生産することが可能であった。またスライダー工程の歩留り率は35%から85%まで向上した。

 このように、材料の調達から最終生産までを一社で担い、かつ生産過程の自動化を実現した一貫生産体制を整備した企業は、当時国内にはYKK以外になかった。ファスナー製造工程の内製化のメリットを、吉田は以下のように説明している。

 「当社はファスナー・メーカーであり、決して伸銅会社でもなければ、紡績会社たらんとするものでもない。ただ、創業以来の念願である“原料から製品まで”を実行に移すにほかならない。良質のファスナーが安価に需要者の手に渡るようにするためには、ファスナーに適したものを原料から作るべきだ(中略)。需要者は、ファスナーはこわれないものだ、と信じている。たまたま、その需要者にひとつでも不良品が渡ったとすれば、ファスナーは不良なものだ、と冷酷な判断を下し、このひとつが偶然不良品で、他は優秀品である事実を知らず、ファスナーを無残にも冷視することになるであろう。1個だけ、1回だけ、ひとりだけ、全くのアット・ワン・チャンスに全製品の優劣がかかっていることに思いをいたせば、重要な役割を持つ原材料の自社製造は、必ずや当然の理である。」

 こうして生産体制の効率化が進められる中、ファスナーを作る型の製作工程も機械化を図ることになり、精密研磨盤を完成させた。

 また、ファスナー自体の研究開発も推進された。1958年には、アルミ合金を利用したコンシールファスナーが開発された。ナイロン製のファスナーは1952年より開発が進められた。吉田のヨーロッパ視察に研究者が同行し、ドイツの工場でのナイロン製ファスナーの生産過程見学が20分間許され、その記憶を元に機械の設計を自社にて行った。1958年ドイツ Ruhrmann社と技術導入の契約を交わし、翌1959年には独自の研究成果を加味したナイロンファスナーの販売を開始した。こうした技術導入を行う際は、単に海外の先駆的な機械を導入するだけでなく、YKK独自の技術や考案を織り込んで、自社工場にとって最も合理的かつ高性能な機械へと再設計、改良を行った。そのため、中央研究所ではなく各職能の現場ごとに研究を行うシステムが採られた。デュポン社が発明した合成樹脂であるアセタール樹脂(デルリン)を用いたファスナーの開発は1959年に開始され、1961年生産に成功した。表1に示す通り、1963年までにYKKは国内特許を40件、外国特許を136件、国内実用新案を121件、外国実用新案を7件取得している。

表1. YKKの登録特許/実用新案 (1955年-1963年)

表1. YKKの登録特許/実用新案 (1955年-1963年)

(出典: 吉田工業『Y.K.K. 30年史』(吉田工業、1964年))

 

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